現代人の法話 
〜 憂国の士はいないか? 〜

 今、パレスチナやイラクでは毎日のように自爆テロなどで死傷者が続出しているにもかかわらず、わが国はバブルがはじけてここ十数年来、不況だというのに依然として飽食の時代が続き、巷にはモノがあふれ、国民の間にはたかだかプロ野球の優勝事で死人が出たり、したい放題、言いたい放題の勝手気儘な生活を謳歌している人を見かけます。それでいて内外人から「バカの壁」だ「間抜けだ」と揶揄されたり、テレビ番組で「ここが変だよ日本人」と指摘されるといきり立つのが通例のようです。
 「ウヌ、どうするかみていろっ」と力いっぱい叫んだのは木に縛られていた青年、宮本武蔵でした。その本の下で仰向いて「そうだ、そうだ≠サのくらい怒ってみなけれぱ、ほんとうの生命力も、人間の味も出て来ぬ。近頃の人は、怒らぬことをもって知識人であるとしたり、人格の奥行きと見せかけたりしているが、そんな老成ぶった振る舞いを、若い奴らが真似するに至っては言語道断じや。若い者は怒らにゃいかん。もっと怒れ、もっと怒れ」と叱咤したのは沢庵和尚です。これは吉川英治の『宮本武蔵』の一節です。
 今や日本丸は沈没寸前だというのに、「いずれどうにかなるだろう」と呑気に構えて、船上でドンチャン騒ぎをしているのが私たちの現状だとしたら、ほんとうに悲しいことです。鎌倉時代に元の大軍が押し寄せて、わが国が存亡の危機に直面したとき、時の鎌倉幕府に『立正安国論』を提出して直訴したのが日蓮でした。師は当時の人々の能天気ぶりを直視して「日蓮は泣かねども涙ひまなし」と慨嘆し、何とか救国したいと願ったのでした。はたして今日の政治家はじめ国民に、外国人から「信念のないエコノミック・アニマル」と特別視され無視されている現状を憂い、悲憤慷慨して立ち上がる憂国の士はいないのでしようか。



Back