現代人の法話 
〜 独創的生き方を 〜

 グローバル時代にあって、世の中の情報が即時に世界中を駆け回り、誰もがお金やモノをもつことが可能になり、それによって安心する人が増えているようです。しかし、同時に競争社会にあってみれば、お互いが同じパイの分け前を奪い合い、いがみ合っています。そこでは十人のうち、一人が勝ち組で、あとの九人は負け組だと言われ、余程の実力や知識がなければ競争に負け、取り残され、惨めな思いをしなければなりません。毎年、公表される高額所得者名や学力の偏差値など、人間の実力や能力が数字で表示され、それがあたかも人間的価値であるかのように判断されるのは本当に悲しいことです。
 では、負け組の人は劣等感や屈辱感にさいなまれ、隠忍自重の生活に甘んじなければならないのでしょうか。人はたとえ周囲からどんな評価をされようと、本人の貴重ないのちや個性が育まれており、それを皆殺しにするのは見るに忍びません。誰もが、他の知らない独自の持ち味や隠し味を持っており、それを活かさない手はありません。ひとつ、人の出来ないことや持たないモノを持つよう心掛けたら如何でしょうか。「人の行く 裏に道あり 花の山(読み人知らず)」です。自分だけが持つユニークで独創的なものを持つよう努力すれぱ、たとえそれが実現出来なくてもダメで元々であり、努力しただけの甲斐や報いはかならずあるものです。
 不肖私は他と同じものを持つよう競争しても、実力、能力共にとうてい勝ち目がないので、今日まで人がしている以外のモノを得ることに心掛けて来ました。その結果、自分の望みが達した暁には満足感を、たとえ失敗しても「自分にはそこまでやれた」という充実感を味わって来ました。こうした私の経験がご参考になるかどうか分かりませんが、折からの不況の時代や過酷な社会にあって、ひとつ騙されたと思って、実行してみませんか?



Back