現代人の法話 
〜 今、生きている喜び 〜

 最近、数日前まで元気な姿でお逢いしていた友人知己が、突然、クモ膜下出血や心筋梗塞で他界するという突然の悲報に接し、ただただ驚くと共に、世の無常を痛切に味わっています。おそらく皆さんの周囲にも、「まさかこんなに早く、あの人が旅立つとは夢にも思っていなかった」と述懐される方もおられることでしょう。
 新聞紙上には、毎日のように著名人の訃報が報道され、「ああ、あの人もこの世から去ってしまったのか」とその変事に感慨無量なものがありますが、これが他人ならいざしらず、自分の近親者や知人知己ともなれば、惜別の念は格別です。ましてや自分の死期が近づいているのを医師から知らされ、自覚症状があるに及んでは、江戸時代の蜀山人が狂歌で「死ぬるとはひとのことかと思いしに、俺が死ぬとはこいつはたまらん」と詠んでいるように、人ごとではすまされません。
 たしかに今日の日本人の平均寿命は世界最高を誇り、男性では七十七、八才、女性では八十四、五才といわれていますが、これは乳幼児の死亡率が低下したことによるものであり、この世は「老少不定」で、老いも若きも何時どんな所でこの世を去らねばならないのか皆目私たちは分からないのが私たちの人生です。しかし大抵の人は、まさかそんな目に遇うとは夢にも思わず「いつまでも生きている気の顔ぱかり」しています。ところが古歌にもあるように「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ」で、昨日まで紅顔を誇っていた身も、突然、死が訪れて明日には白骨の身となるのです。

*生は偶然、死は必然
 おそらく皆さんは、この世で生きているのは当然であり、死ぬのは偶然であると思っていることでしょう。その証拠に、人が亡くなると「まさか」と思い、「運が悪かったのだ」と考えるからです。しかしながら、よくよく考えてみると、実は生きることはいろいろな縁に恵まれて偶然であり、死ぬことは縁がつきたならば死ぬのが当然なのです。したがって、いつ死んでも不思議ではなく、この世に生あるものは、すべて「生者必滅」の理に沿い、遅いか早いかの差はあれ、死は百パーセント必然の帰結なのです。
 顔の軟骨が次第に腐ってゆくという重病に見舞われ、二十二才の若さでこの世を去った大島みち子さんは、余命いくばくもないと医師から死の宣告を受け、『若きいのちの日記』で次のように告白しています。
 「病院の外に、健康な日を三日下さい。一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。そしておじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。おいしいサラダを作って父にアツカンを一本つけて、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。貴方と遊びたいなんて言いません。お部屋を掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてね。三日目、私は一人ぼっちで思い出と遊びます。そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありがとう、と笑って永遠の眠りにつくでしょう」
 もしも貴方が、彼女のような病気に罹り、「あと三日間しかない命である」と医師から宣告されたらどうしますか?おそらく「そんな馬鹿なことはない」と否定することでしょう。それとも驚愕し動転して、頭の中が真っ白になり、気が狂ったように暴れまわりますか。それとも声が涸れるまで泣き叫び、酒や歌でまぎらわしますか?もし自分の死を平然と受け止められたら、立派な人です。
 私の敬愛する東井義雄師はかつて、深夜にかかってきた見知らぬ中年男性からの電話でたたき起こされたことがあったそうです。用件を聞いてみると「私は周囲から裏切られ見放されて、この世で誰をも信用できなくなり、念仏を唱えて仏に助けを求めたが、何の甲斐もなかった。人生に絶望したのでこれから自殺しようと思うが、その前に一度、貴方の声を聞いてから実行しようと思う」と打ち明けられたそうです。そこで師は「そう簡単に人生に絶望したと言うものではない。自分の身体を自分勝手に始末するつもりだろうが、ひとつ聞きたいことがある。今、自分の手を胸に当ててみたまえ、心臓の鼓動が聞こえるだろう。君はすべてのものから見放されたといい、自分の身体は自分の所有物だから勝手に処分できると思っているかもしれないが、心臓は、君を生かそうとして四六時中休みなく働いているではないか。それを知らずに、自分勝手に自分のいのちを絶つのは申し訳ないと思わないのか」と語りかけた。それを聞いてこの男性は「ハッ」と気づき、未だ人生は捨てたものではないと自殺を思い留まったといいます。
 アメリカの作家リチャード・バックも『かもめのジョナサン・リヴィングストン』で、「地上における貴方の使命が終わったかどうかのテストをしてみよう。もしも貴方がまだ生きているのであれば、それは終わっていない」と語っています。自殺を思い立つには深い事情があろうかと思いますが、折角自分に与えられた尊い命を簡単に始末してよいものでしょうか。

*死を忘れた現代人の生き方とは?
 現代人はとかく、嫌なことや苦しいことを避け、何か自分の人生が望み通りにならないと絶望し、デカダンに陥るか自殺に走りますが、人生は捨てたものではないと思います。死はその最たるもので、誰もその到来を望んでおらず、できれば忘れ、避けて通りたいところですが、いくら医学が発達し延命措置が可能になったとしても、死はいつしか必ず訪れます。そうだとしたならいっそのこと、その事実を認め、いつ死んでもいいように覚悟を決めてかかったらどうでしょう。一度死んだ人間は二度と死にません。現代人の追い求める幸福とは、通常モノやカネを多く獲得してより快適な生活を送ることのようですが、そこでは望みは遂げてもこころからの満足感や安心感がえられないようです。何故かといえば、人間の欲望には際限がなく、一度目的物を獲得すれば、より以上の物を求めて、たえずあえいでいなければならないからです。生の追求も同様で、なるべく自分だけは健康で長生きしたいと欲し、それが叶わず病魔に襲われて死期に直面すると延命治療を求め、その望みが絶たれた暁には永世や再生を願い、藁を掴む思いで神仏に祈るという身勝手な行動をしがちです。そうした飽くなき欲望に翻弄されつつある現代人に対して、仏教では死は必然で、死んでもともとであり、生は偶然で一日でも長く生き、充実した毎日を送ることによって満足する「少欲知足」の人生を勧めています。今日のように不況に見舞われながらもモノが溢れて飽食に酔い、その日暮らしの時代こそ、その活路を開く生き方ではないでしょうか。いずれにしても、どんな生き方をしようと、どんな死に方をしようと自由ですが、私たちは今まで自分が生きて来たように死ぬだけです。
 私はかつて石川いしえさんという方にお逢いしたことがあります。彼女は戦前の若い頃進行性筋萎縮症(ジストロフィー)に罹り、足腰が立たなくなったわが身を省みて、生きる希望を捨てかけていました。そんな彼女がたまたま当時、三島の龍沢寺に住持していた中川宗淵師に出会い、師から励まされて百万枚のお地蔵さまの姿を写すことを約束し、実行に移して次第に心変わりをしました。他になすすべもなく、鎌倉の自宅で終日座ったまま机に向かい、当初は「三日坊主」よろしく飽きが来て、「今日やめようか、明日やめようか」と思いつつ、一枚一枚、仏の姿を写し続けて来たそうです。が、次第に写仏の楽しみを覚え、生きる勇気や希望も湧いて、とうとうご三十数年の歳月をかけ、戦後に所願の百万枚の約束事を果たしました。
 その写しを頂いたのでお礼方々「大変なご苦労でしたね」と慰めの言葉を申し上げたところ、「そんなことありません。どうせ私はお医者様から再起不能と見放され、死んだ同然の身です。しかしながら今までこうして写仏に専念でき、健康に恵まれて今日まで生きて来られたのもすべて仏さまのお蔭です。おつりのようなこの生活は、私にとって一日生き延びれば一日得した気分です」と晴々しいお顔で語ってくれました。彼女はすでに他界されましたが、このおぱあさんのありし日の姿を想い出すにつれ、生きているのは偶然であり、死ぬのは必然であることを痛切に実感しました。
 かつて欧米諸国では、ヌードやポルノの公開はタブーで、世間に人体の恥部をさらすことは憚られていました。しかしながら今日、現代人は快適で美しい世界に生きることを欲するあまり、ヌードやポルノにかわって死が世間から隠蔽され、人間の死と同時にその遺体は隔離され、美しく化粧されて納棺され、きらびやかな祭壇に飾られて、手際よい葬儀が進行し、あたかも死者は天国に昇天したかのような錯覚を起こさせます。わが国でも遅かれ早かれ同じような傾向が見られ、多くの現代人はこうして自分や近親者の死から目をそらし忘れ去って、自分だけはいつまでも生きていられるような気になっています。しかしながら現実にはそんな恰好よい死などあろうはずがなく、遺体は時間が経てぱ腐敗し始めて、思わず目や鼻をそむけたくなる死臭を放ち、蛆虫や銀蝿が飛び交います。それがいくら醜く嫌だといっても、事実を曲げるわけにはいきません。
 かつてフランスでは「メメント・モリ」(死を思え)という言葉を語り、死の彫像を常に眼前において眺めることが流行しました。すでにわが国では江戸時代の至道無難禅師が、「生きながら、死人となりてなりはてて、思うがままになすわざぞよき」とその『語録』で語り、キリストの使徒パウロも、「生きているのは、もはや、私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのである」と『新約聖書』の『ガラテヤ人への手紙』の中で述べています。ここでいう「死」とは肉体的な死のことではありません、精神的に一度死ぬことです。すなわち「大死一番」という言葉もあるように、死んだつもりになって、自分のこの世でほんとうになすべきことに全力投球することです。ここのところを作家の山本有三は『路傍の石』で次のように詠んだのだと思います。
  「たった一度しかない人生を
   たった一人しかない自分を
    ほんとうに生かさなかったなら
    人間、生きて来た甲斐がないじゃないか」と。

*私の生き方、死に方とは?
 生死の問題は決して他人事でなく私自身が問われるべき問題です。ではいったい私ならどうするか。イザ、自分の肉体的な死を迎えるその時になってみないとわかりませんが、突発事故や事件などに捲き込まれ、一瞬にして爆死したときはそれまでです。死期が近づき肉体的な痛みに耐えかねたときには泣き叫び、のたうちまわって一巻の終わりとなるかもれません。それはそれでやむをえず、後は仏さまにすべてをおまかせしたいと思っています。が、私は、たとえ自分の肉体が滅びても、私のこの世に残した言行の中に私がいると信じており、それが周囲に何らかの形で伝わろうと伝わるまいと、ちょうど小笠原秀実師が、「足跡の残らば残れ足跡の、消えねば消えね、ひとり旅行く」と詠まれたように、私自身は肉体が滅んで、この世を去ることに何ら悔いはありません。
 私の考える悔いのない人生とは、自分が今までしたい放題のことをして来たという自己満足ではなく、その望みが今まで果たせなかったから、これからしたいということでもなく、かけがえのない宇宙自然から与えられた自分のいのちを、自他が喜べるようなことに最大限活かして完全燃焼させることです。それには、何時、何処でどうにかなっても決してたじろかず、「自分の人生はこれで満足だ」と言えるような安心した毎日を送ることを意味しています。はたして周囲から見て、私がそうした人生を今まで送って来たかどうか忸怩たるものがありますが、少なくとも私自身は自分に対して忠実に、周囲に対して誠実でありたいと願って毎日を送って来たつもりです。そして何時かはかならず私に訪れるであろうこの世の最後にあたって、私を育んで下さったすべてのものに対して、「今日まで随分、迷惑をかけお世話になったにもかかわらず、その万分の一もお返しできずに申し訳ありません」とお詫び申し上げ、「その私をここまで生かして頂いて有り難うございました」と感謝の念をもって、自分のいのちを宇宙自然にお返ししたいと願っています。



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