現代人の法話 
〜 裸にて生まれて来たのに何不足 〜

 最近、ひさしぶりでアメリカ国内を一巡して驚いたことがあります。というのは、どこの町でも行き交う人の十人に一人くらいの割合で、男女共に旧小錦級の巨漢に出くわしたからです。そうでなくても米国人が、山盛りの料理や菓子類をペロリと平らげ、平気な顔をしているのを見るにつけ、これでは不健康で、短命化が必定だと痛感しました。
 こうした肥満化、飽食化現象はわが国でも同様で、燃料食糧共に自給自足が出来ず、自然環境汚染や資源の枯渇が懸念されているというのに、多くの人々が「したい放題、食べたい放題」のかぎりをつくしていることです。企業体はブランド物や大食い競争を喧伝し、消費者も紙や食物の浪費で大量のゴミを排出し、マスコミもこれら憂うべき傾向に警告を発するどころか、無駄遣いを奨励しているのですから始末に負えません。これだけ自らの望みをほしいままにしておきながら、ちょうどシエクスピアがマクベス夫人に「望みは遂げても満足がない人だ」と語らせているように、不平不満を吐き散しているのはどうしたことでしょう。
 今日の世界では、欧米先進諸国やわが国のような持てる国と、飢餓や戦禍や貧苦のどん底にあえぐ持たざる国の貧富の差はますます拡大する一方です。こうした事実を見過して、欲望の赴くままに自由奔放の生活にうつつを抜かす人々に痛打の一撃をくらわしたのが、持てない人々の犯罪やテロ事件といってよいでしょう。折りからの牛肉や鶏肉汚染問題を知るにつけ、仏教の精進料理によって育まれた食生活や、京都・龍安寺に刻まれている「吾、唯足るを知る」という「少欲知足」の精神を身に体し、今こそ内外に周知徹底させるべきではないでしょうか。



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