現代人の法話 
〜 言葉遣いを大切に 〜

 昔から「口はわざわいの因」と言われるように、ちょっとした言葉が原因で相手の気を損ね、仲違いや反目、ひいては暴力、殺人に至ることがあるので注意しなければなりません。最近、佐世保の小学校で、十三才の少女が友達を殺してしまったというおぞましい事件も、相手から悪口を言われたことが原因のようです。誰しも自分の欠点や恥部を指摘されるのは嫌なもので、おそらくこうした言葉のやりとりから生まれた争いごとは、程度の差はあれ、私たちの周囲にも目常茶飯事のことと思います。
 しかしながら、言葉は諸刃の剣で、使い方如何によってそれは相手との不和の原因になりますが、同時に相手を活かしたりもします。たとえぱ相手から自分の良点を指摘され、褒められれぱ誰も悪い気がしないでしょう。失意のドン底にあるとき、その気持ちを酌んで慰められ、励まされれぱどれほど自信を取り戻す手だてとなることでしょう。私などは何の取り柄もありませんが、見知らぬ人から「先生の本を読んで勇気づけられました」とか「良いことを言ってくれました」という言葉を聞くたびに、ますますやる気を起こし、勇猛邁進したくなるから不思議なものです。と同時に、それも善意のお世辞と半分割り切り、煽てに乗って有頂天にならないように自戒しています。
 よく政治家などが世間受けするために無責任な言葉を吐いて後で失言を取り消し、公約を破っても平気な人を見かけますが、それによってどれほど人の心を惑わし、信用を失うか測り知れません。紀元前からインドで釈迦の言葉として伝えられた『法句経』(二三二)にも、「言葉のいかりをまもりて、言葉をつつしむべし。言うべからざるを棄てて、言うべきことを言うべし」とあるように、私たちも自分の発言に対してはよく注意を払い、責任を持つべきでしょう。



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