現代人の法話 
〜 嫉妬心について 〜

 ここでの主題は「嫉妬」で、他と競争し自分が相手以上になれぱ優越感を抱き、それ以下だと劣等感から嫉妬するという心で、誰でも多かれ少なかれあるもので、功罪相半ばし、それをよい方向に進めれば自他を高め、社会の進歩向上に寄与しますが、一歩間違えると自他を仲違いさせ、ときには社会を破滅させることになりかねません。
 かつてわが国の戦国時代に、黒田官兵衛という豊臣秀吉の部下がおり、彼なくしては秀吉は天下をとることができなかったと言われるくらいの功臣でした。ところが晩年になって、秀吉は黒田の実力を見抜いて、もしかすると彼に自分の地位を奪われかねないと嫉妬し、被害妄想を抱いて彼を遠く離れた九州の小倉に左遷させてしまったのです。在任中は黒田のおかげで天下をとったにもかかわらず、その恩を忘れて彼への恐れと憎しみから、この世に居て欲しくなかったのでしょう。こうした嫉妬心による葛藤は上司と部下の上下関係や、友人同士でもありうることで、過去の東西の歴史には枚挙にいとまがありません。
 「嫉妬」は男性だけでなく女性にもあります。というか、女性のほうが凄まじいとさえ言えます。たとえば、中国前漢の創始者、高祖劉邦の皇后・呂后にこういうエピソードがあります。呂后は劉邦が籠愛し、皇子を生んだ咎で戚夫人に対して嫉妬心を抱き、憎しみのあまり手足を切断し、目や耳そいで厠に閉じ込めたといいます。呂后は同性に嫉妬を抱いただけでなく、功臣・韓信に対しても同様の仕打ちをした。彼は劉邦、呂后共に忠誠を誓い、若いときには「股を潜れ」と言われれぱそれに従う忠臣であったが、ひとたび頭角を表すと嫉妬され、呂后の詭計によって斬死させられました。
 このように、いかなる寵臣もひとたび嫉妬の罠にはまり逆鱗に触れると、今までの愛しさあまって憎しみの的となり、抹殺される運命にあるようです。しかしながらそうして奸計をめぐらして周囲の敵や仮想敵を撤底的に粛清しても、その栄華は長続きせず、秀吉も呂后一族も滅亡の一途を辿っていったことを忘れてはならないでしょう。



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