現代人の法話 
〜 ひとと比較しない 〜

とかく私たちは周囲の人と自分とを比較して、その優劣や勝敗を決めたがるようですが、そんなところからはけっして安心した自分のしあわせな人生は得られないようです。たしかに勉強でもスポーツでも、ひとよりすぐれ、優秀な成績を残すことはうれしいに違いないにしても、そのことだけに専念していると、いつのまにやら自分自身を忘れ、煩悩の虜になってしまいます。親は自分の子供を人一倍よい子に育てようと努力し、子供もその親の望みや自分の夢が叶うように努力するのは結構ですが、それが行き過ぎて、周囲との競争に勝つことばかりを考えていると、とんでもない結果になります。
 最近、大学受験勉強をしないことを責められた十九歳の子供が両親を撲殺するという事件が茨城県でありましたが、これなども、周囲と比較して子供の不甲斐なさをなじった結果といえましょう。原始仏典の『法句経』(166)に「たといひとにとって如何に大事なことであっても、それによって自分のつとめを蔑ろにしてはならぬ。自分のなすべきつとめを見きわめて、その事に専念せよ」と述べているように、ひとはひと、自分は自分と割り切って、ひとと比較しないほうが得策といえましょう。
 また、ひとと比較して自分が劣っていたり、負けたと思うと、その相手を嫉妬してそねみ、その不満が鬱積すると、何らかの手段で相手を誹謗し、蹴落とそうとするようです。これは古今東西を問わず、今までの歴史上、こうした事実は枚挙にいとまがありません。とくに気位の高い独裁者や権力者にとっては、自分の地位保全のためにその座を狙う(と思われる)競争相手を敵愾心や猜疑心から蹴落とすことに躍起となります。
 『法句経』(217)は、「徳行と見識とを備え、自然の摂理(法)に従って生き、真実を語り、自分のなすべきことを行えぱ、人々から慕われ愛される」と説いています。



Back