現代人の法話 
〜 権利より義務の履行を 〜

 今年の夏、社会保険庁が発表したところによると、昨年度の国民の年金保険の未納額は九千八百二億円に上り、対象者全体の約三十六.四パーセントにあたるそうです。こうした滞納者や未納者は年金保険料を払えないのか払わないのか理由がわかりませんが、今後ますます少子化や高齢化が進み、支払い額も鰻登りに上昇する中にあって、早晩、支払い金が枯渇してパンク状態になることは目に見えています。おそらく所得税などの国税も、納税免除者を除き、同様の比率で納税していない国民が多いのではないでしょうか。
 こうして保険料や税金を納めないにもかかわらず、国民の権利として政治に参画する選挙権や教育や社会資本(道路やゴミ処理などの公共施設の利用)を受益することを当然視する者がいます。わが国は社会福祉国家として内外に広く認められているだけに、もしそれを政府や地方自治体が拒否したなら、人権蹂躙として告発され、世間から糾弾されることでしょう。そうした人びとへの費用を誰もあまり文句も言わず、納税者と行政機関が負担している訳です。
 このように当然守るべき社会的義務を履行しないで、権利だけ主張する国民が増加の一途を辿っていったならぱ、国家の財政が破綻し、福祉行政も滞るようになり、国民の生活は脅かされて、お互いがいがみ合う無政府状態に陥ることでしょう。
 わが国の現憲法第三条の「国民の義務と権利」の項では、「権利」が十六回、「自由」が九回に対して、「責任」が四回、「義務」が三回しか記されておらず、その「義務」たるや、教育を受ける義務と勤労の義務は本人のためになるもので、国家に対する義務ではありません。こうしたことから、国内外での災害、事故や外国で拉致されたときには、政府に保護の権利を訴えたりするのです。私たちにとっては憲法云々ではなく、身近な隣近所の問題で、ゴミ処埋や児童保護や一人暮らしの老人介護など、なすべきことが山ほどあり、それらをみな行政側にまかせきりでなく、お互いが助け合わなければなりません。にもかかわらず、自分に迷惑なことは個人の権利として他に訴えても、周囲への迷惑は知らぬふりをする人をよく見かけます。そうした人の言行を強制的に取り締まることは出来ませんが、各自がまず自分のなすべき社会的義務を履行した上で権利を主張し、それが出来ない人は自らの言行を自粛するくらいのたしなみがあってもよいのではないでしょうか。




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