現代人の法話 
〜 如実知見の生き方を 〜

 「如実知見」とは読んで宇のごとく、自分が仏の立場に立って、そこからこの世の現実を偏見なくありのままに見て、自分のこの世でほんとうになすべきことを行うことです。私たちはどうもこうした見方や生き方をするのではなく、この世を自分の都合のいいように解釈して、勝手気儘につまらな人生を送っている人が多いようです。
 すなわち、この世の現実に対して前向きな姿勢で真摯に、積極的に生きるのではなく、上を向いて夢想したり、下を向いて沈黙を保ったり、横を向いて無関心だったり、後を向いて過去の追憶にふけることです。いずれも自分の足元をしっかり固めてそこから雄々しく立ち上がるのではなく、宙ぶらりんの形でふらふらした人生を送ることを指します。
 私たちがどんな見方や生き方をしようと本人の自由で、他人がとやかく言う筋合いではありませんが、自分の置かれた立場を直視せずに人生はつまらないといとぼやき、鬱憤晴らしに他人や世間をいくら責めても一文の得にもなりせん。それでいて、してもしなくてもどうでもよいことに無駄なお金や時間や労力を使って、平気でいる人が何と多いことでしょう。そこで自分の思い通りにならないと、世をはかなんで自暴自棄に陥り、中には犯罪や狂気や自殺に走り、自分を窮地に追い込んでしまう人を見かけますが、いずれも自業自得のなせるわざで、そのツケは自分が負わねぱなりません。
 万事不透明な今日の時代こそ「如実知見」の生き方をしないと、後顧に憂いを残すばかりで、いったい何のためにこの世に生まれてきたのかわからなくなります。私たちは今からでも遅くない、生き甲斐ある人生を送るために、上下左右ばかりを見ていないで、自分の置かれている立場を「如実知見」してみませんか。




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