現代人の法話 
〜 これから私たちのなすべき事とは? 〜

 私は人生の最終期に入った今日まで仏飯を頂けたことや、お世話になった有縁の方々に万分の一でもそのご恩返しにと、日頃書き綴って来た仏書を、大学からの月給、退職金や印税を投入して自費出版し、贈呈して参りました。各位のその受けとめ方は千差万別だと思いますが、中には無しのつぶてどころか「こんな噴飯物を勝手に送りつけて」と、お怒りや恨み心を持つ方がおられるやもしれず、ほんとうに申し訳ない気持ちで一杯です。その反面、心から感謝して、お礼の返信やご芳志を送って下さる方もおられます。しかしながら私にはそうすることによって政治的な野心や名誉や金品、あるいは返信などを一切期待していないことを改めてお断りさせて頂きます。私にとって一番有り難いのは、お粗末な著作物に徹底して反論乃至叱正のご批判を賜り、自分の無知ぶりや至らなさを知らされることで、どれほど今後の励みになるかわからないからです。また、これをたたき台として一人でも多く、自らのものを周囲に伝達還元して頂きたいからにほかなりません。
 なぜ私が厚かましくもこうしたことを手掛けるようになったかといえば、米国から帰国以来、わが国の仏教界の現状を垣間見て、仏教国といわれながら国民の間で依然として仏教とは前近代的、封建的宗教の残渣か慣習くらいにしか受けとめておらず、関心や期待どころか、むしろ反感乃至不信感を抱くことに、忸怩たるものを覚え、仏教の一般的啓蒙書を出版させて項いたことが発端でした。その後も国民の無関心からか一向にわが国仏教界の改善の兆しが見えず、ますます悪化の一途を辿っているように見受け、このまま推移しますと社会の片隅に見捨てられ、その存在意義すら見失われるのではないかとの危機感を覚えたからです。そのため、私ごとき未熟者がなすべきではないことを重々承知しながら「出る杭は打たれる」ことを覚悟の上で、ここ四十年来、縁あって約六十冊ほどの和洋書と四百七十号あまりの月報を発行させて頂き、世に問うて来ました。
 最近になって、明治維新以来の近代文明はかげりをみせ、わが国民の精神的頽廃ぶりには目に余るものがあり、ようやく国民自体にその弊害を打開すべく、自国の文化や宗教にアイデンティティを求める機運が醸成されつつあるようです。その期待に添うべく各宗派寺院関係者が最善の努力をなしていることは十分承知しておりますが、とかくすると我が仏のみを尊しとし、タテ割り体質によって、それを通底する基本的な仏教の教えや生き方が国民の間に浸透していないような気がしてなりません。そこでいささかでもその隙間を埋め、基本的知識の周知徹底をはかるべく、今後も微力ながら体力と気力の続くかぎり一層努力したいと考えておりますので、各位のご理解とお力添えのほどを切にお願い申し上げます。




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