現代人の法話 
〜 人生は元気なうちが花 〜

 昨日元気でおられた方も今日はあの世の人となり、再びこの世でお目にかかることが出来なく、世はまさに生者必滅の諺の通りで、人生の無常をかみしめています。しかしながら「年々歳々、人同じからず、歳々年々、花相い似たり」で、春ともなればいつしか土に埋もれていた福寿草の芽も首をもたげ、美しい花を咲かせます。花びらは散っても花は永劫回帰で散らないのです。そう考えますと、今年も限られた人生を生きている間は精一杯、働かせていただけるだけでも幸せであると思わなければいけないでしょう。
 師走十二月から来客の応対、歳暮、寺報の編集発行、寄稿出版物の校正出版発送、年賀状書き、成道会、忘年会、各地出講、海外出張、税金年末調整、寺内外の清掃、刑務所教誨、お焚き上げ、除夜の鐘つきが続きました。年明けからは修正会、年始回り、年賀状返信、新年会、執筆校正、電話受付、山本有三忌、葬儀、法要と、朝早くから夜遅くまで目まぐるしい毎日を駆け回り、その間、休む暇なくやっと一段落したと見いきや、鬼の撹乱でとうとう風邪でダウン。しかしながらそこでボヤいてみても何にもなりません。ひまを持て余している人を羨むどころか、こうした仕事を頂けるだけでも有り難いと思っています。
 インドでは昔から人の一生を「四住期」(アーシュラマ)といって、学生期、家住期、林棲期、遊行期の四期に分けて生きることを理想としていました。すなわち青年期には世のありようを学ぶ勉強に精を出し、壮年期には結婚子育てで家族を育成し、中年期には自分の培った経験、財産を活用し、老年期にはもっぱらそれらを社会に還元することです。
 私も及ばずながら、今年七十三才の人生の最終期に入ってその総決算をすべく、今年の私の願いは、今まで蓄積したものを健康でいられるかぎり社会に還元することに全力投球したいと考えています。しかしながらそれは周囲の協力なしには実現不可能で、今後共、皆様のご理解とご協力をお願いする次第です。




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