現代人の法話 
〜 子供の躾をどうするか? 〜

 いずれの親にとっても自分の子供が可愛いことには変わりはなく、子供が周囲の誰よりも出世し、しあわせになって欲しいと願いながらも、どうも最近の親は自分の子供を愛することと甘やかすことを混同しているようです。かつての戦中、戦後の貧困時代には、同じ屋根の下で親兄第がお互い好き勝手なこともできず、我慢し助け合いながらの共同生活を余儀なくされて来ました。ところが今日のように経済的に恵まれ、核家族化するにつれて、親は忙しさにかまけて、子供の躾けを他人まかせにし、今までの親の苦労を子供にさせまいと甘やかし続けているようです。
 昔から「三つ子の魂百までも」と言われるように、物心がついた三才頃から子供に自我が芽生え、その幼少時の躾け如何によって、後の性格が決定されるといいます。この重要な性格形成期に、子供の欲望の赴くままに振る舞わせていると、他の動物同様、檻から解き放たれたライオンのように、手に負えない身勝手な人間になると言われています。その子供が学校に通い始め、自分の思う通りにならないと親や教師をなじり、成人して社会人になると自立できず、わがままぶりが一層加速して、その不満の捌け口を破壊的言動に求め、そのツケが親に回って親子共々泣く羽目になりかねません。
 立命館小学校副校長の陰山英夫さんは、「親力がわが子の能力を決める」(中央公論九月号)として、親は子供の躾けを他人任せではなく、自ら率先してその生きざまを子供に見せ、体験させるべきだとして、「百ます計算」より「早寝・早起き・朝御飯」をすすめています。親が寝ていながら子供を起こして、どうして親の言うことを聞くでしょう。そうならないためには一にも二にも、親自らが自立心と他を思いやる辛抱強さを身につけ、子供の自我にいち早くそうした「心捧」を植えつけるべきではないでしょうか




Back