現代人の法話 
〜 老後の生活をどうするか? 〜

 わが国はかつては大家族主義で、一家揃って団欒の一時を過ごすのが日常茶飯事であったものが、最近では少子高齢化時代になり核家族化して、家族同士が顔を合わせてゆっくり語り合う機会が少なくなっているようです。子供が成長して結婚し独立すると、自分たちの生活に明け暮れし、それにも懲りず親はいつかは子から世話して貰えるかとのはかない夢を抱いて、今まで汗水流して働き、せっせと稼いだお金を子に貢ぐ親が何と多いことでしよう。かつて子は都会に出て稼いだ金を田舎に残した老親に仕送りするのが通例でした。が、最近では逆転し、退職後の親は今まで溜めたなけなしのお金を叩いてまでも子や孫に対して仕送りし、子はそれに甘えて浪費する例が少なくないようです。親はお金でしか子や孫から頼られず、尊敬されないとは何と哀れなことでしよう。だから、都会の子や孫を装って、地方の老人に送金をせびる「オレオレ詐欺」が流行るのです。
 今年から来年にかけて、団塊世代の日本人が定年退職するといわれていますが、こうしたいわゆる職場人間が社会に放り出された暁に、それを温かく迎える血縁社会も地縁社会もなく、途方に暮れることが予想されます。いくら平均寿命や健康寿命が延びても、仕事も趣味も遊びもすべて職場に結びついた人間にとっては、毎日、時間とヒマを持て余し、再就職するにも家庭生活を送るにもままならず、一人ボッチの寂しい日々を送らなければなりません。そうした状況にあって、高齢者が老後の生き甲斐を見い出す道は、「収入」か「見栄」か「趣味」のいずれかの道を選ぶしかなさそうです。
 「収人」とは今までの貯蓄か再就職か投資か年金に頼るしかなく、それらによって幾許かのお金を得たところで、使わなけれぱ宝の持ち腐れであり、遊興費に使ってしまえば目減りするばかりで、たえず老後の生活への不安が付きまといます。「見栄」とは社会的な名誉を欲して社会奉仕をすることですが、世間体はよくても損得にもならず、その仕事から離れた途端に世間から見捨てられてしまいます。「趣味」とは他人に迷惑をかけず、損得や世間から認められるか認められないかに関係なく、自分の好きな仕事に専念することで納得し、自己満足することです。自分の好きな仕事なら、いくら働き、時間やお金を費やしても苦にならず、世間や時間や経済からの自由を諷歌できます。私たちにとって最低限の生活費は必要ですが、こうした趣味に生きることによって、たとえ何時、何処で、どうなろうとも、自信と誇りをもって自分の生き甲斐ある人生が送れることでしょう。




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