現代人の法話 
〜 お金は天下の回り物 〜

 世間では、親も子も、親戚や友人仲間など誰にも頼りになれず、老後の生活が不安なことから、最終的には「お金以外に頼れるものはない」と豪語して貯蓄に精を出し、お金が一円でも溜まったことにほくそえんでいる人を見かけます。たしかにお金がなければ生活もままならず、欲しいものもえられず、人も「金の切れ目が縁の切れ目」で寄って来ないことでしょう。しかしながらそうしたお金をえたところで、ほんとうにしあわせになれるかどうか大いに疑問です。
 親の莫大な遺産を相続したり、投機や賭け事で一獲千金をものにしたり、人を騙し脅して手に入れたお金は、所詮あぶく銭であって、入るのも早けれぱ出るのも早いようです。また、預金や持ち株でえた不労所得は高がしれています。タンス預金なら尚更で、便わなけれぱ宝の持ち腐れです。こうしたお金を持つことによって、人からは羨望の目で見られ、嫉妬や恨みを買うことはあっても、決して称賛され尊敬されることはありません。ましてや健康や愛情や親切などはお金では買えません。にもかかわらず、お金のために自分の人格や名誉や信用を失ってまでも獲得することに奔走して、一生を台無しにする人が何と多いことでしょう。
 たしかに目に見えるお金は客観的に価値を知ることが出来る便利なものです。したがってその多寡により、資産家が世間的評価を受けるのは無理もありません。しかしそうだからといって、人間的価値が高いわけではないことです。世の中には金に糸目をつけず、贅沢三昧の豪勢な生活を送りながら、社会のためにはビタ一文も出さず、平気な人を見かけます。が、えてしてこうした吝嗇家の晩年は薄幸で、死後、人から後ろ指を指されるのがオチのようです。問題なのはその資産を何に使うかです。




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