現代人の法話 
〜 今こそ実力と品格のある人間に 〜

 最近のわが国の政官界をはじめ、社会の指導者層の不祥事には唖然とするものがあります。どうしてこうした常識や良心の欠如した行為が平然と行われるようになったのか、戦前、戦中派には考えられないことです。一昔前なら自らの行為を恥じて断罪、切腹したものです。
 東大副理事のセクハラや東大大学院生の殺人事件が起きるくらいですから、ましてやそれ以下の国民の不祥事はいわずもがなです。にもかかわらず、世の教育ママは性懲りもなく高い授業料を払って子供を受験塾に通わせてまでも一流大学や高学歴を望むのはどうしたことでしょう。たとえそうした念願の大学に入学できたとしても、必ずしも就職や地位を獲得して幸せになれる確約はないことです。
 今日、わが国民のモラルや教育水準の低下は目にあまるものがあり、最近の世界大学ランキングでは、東大は十九位で、北京大学の十六位にも及ぱないていらくです。たとえ大学を卒業しても国際社会で活躍できる人間は僅少です。そんな肩書を誇るよりも、実力をもって信用され、尊敬される人間を育成するほうがどれほど本人や国家のためになるかしれません。
 はっきり言って今日、わが国民は大人も子供も、経済的裕福さに反比例して、精神的には貧困の一語につき、一部の人を除いて真剣に生きているとは思えません。お互いがそれぞれ自分本位の身勝手な生活にうつつを抜かし、へ理屈だけは達者です。
 いくら教育制度を改革し各自の知識の向上を目指しても、お互いが良心的で思いやりのある生き方をしないなら、人間失格です。今こそ英国の評論家ウエレズレーが喝破したように「宗教心なき教育は、知識ある悪魔を作る」ことを肝に命じ、単なる知識や肩書の獲得よりも、もっと崇高な生き方をすべきではないでしょうか。




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