現代人の法話 
〜 責任ある主体者に 〜

 ここのところ国内の政財界をはじめあらゆる階層での指導者の相次ぐ不祥事が発覚し、大多数の国民は激怒しています。それというのも、戦後のわが国の指導者の多くは民主主義の美名の下に、寄り合い所帯の単なるまとめ役的なあて職に甘んじ、自分のなすべき事を自らの責任において率先実行することよりも、万事、任期中は事なかれ主義の無責任体制にドップリ浸かっているからです。そうした指導者がいくら偉そうに振る舞っても、それを裏付ける実績や責任感がないから、それが暴露されるとかえって不信感を募らせるのでしょう。鰯のような魚は頭から腐るといいますが、そうならないためには、指導者は自分のなすべきことを率先実行し、その実績を示すことです。口先だけの人気取り政策を掲げ、事がうまく運ばないとさっさと辞職する愚は決して犯すべきではないでしょう。
 もちろん私たちを欺き騙す指導者を断罪することは当然の事ながら、それに欺かれ騙される側にも責任の一端があります。というのは私たち自体が普段は無関心を装い、万事、問題を指導者に丸投げしておいて、うまく捗らないとその責任を糾弾するからです。こうした傾向を中国人の知日家・胡蘭成氏は次のように批判しています。「日本人は事態が好転している時には物事の本質を真剣に考えようとせず、事態が悪化すると、本質では間に合わないと諦める」と。どうも日本人は何事にも、あたかも対岸の火事見物のように無関心を装い、イザ自らに火の粉が振りかかると慌てふためき、茫然自失するようです。
 今日のわが国の置かれている状況は、経済大国を誇って国民の間に餓死者が一人も出ないにもかかわらず、衣食足りて礼節を忘れ、したい放題のことをして浮かれているようです。にもかかわらず、自らは物心両面で他に何も与えようとせず、他に期待して貰うことばかりを考え、あてがはずれるととかく他を非難し糾弾しています。これではいつまで経ってもお互い同士が信用し合い、他から尊敬されるはずがありません。私たちにとって最も大切なことは、現在の状況の中で自分たちの果たすべきことは何なのか、つまり、誰もが周囲のために何ができるかを問い、それぞれが持てる力を糾合して他に奉仕すべく、率先実行することではないでしょうか。




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