現代人の法話 
〜 進んで他流試合を 〜

 かつてわが国の戦国時代には、一角の武士は自分の武術の実力を試すべく諸国行脚の旅に出て、進んで各地に散在する道場破りに挑み、試合に勝ったならばその道場を乗っ取り、負けたならば弟子入りしたといいます。今日では、こうした実力競争はスポーツ界や芸術の世界に残っていますが、宗教界や学界ではあまり見られないようです。しかしながら、いつの時代でもこうした競争原理は必要で、それが宗教や学問の進歩発展を促しているのではないでしょうか。姑息な手段で相手を出し抜くことは厳しく戒めなければなりませんが、正々堂々と実力で闘う競争原理は、私たちにとっての進歩発展のためには不可欠のようです。
 最近、マイケル・パイ大谷大学客員教授が同大学講堂で行った、鈴木大拙博士没後四十年の記念講演で、「大拙が世界に仏教を認知させたのは、特定の宗派も代表していなかったことが重要」と述べています。とかく私たちは自分の属する宗派や学派の殻に寵もり、お山の大将になって孤高を保ち、「わが神仏のみ貴し」として排他独善に陥りがちです。そこでは、身内の者の横並びのなれあいや、くさいものに蓋をすることが罷り通り、これでは普遍性に欠け、他から正当な評価を得られず、進歩発展は到底、望めません。伝道教化を行う真価は、各自が「何をしたか」ではなく、「それが如何に他を裨益したか」や、周囲が「貴方のなしたことをどう評価したか」が問われるべきです。それには進んで他との交流を密にし、各自の行った実績や成果の程を知るべく、他からの声を虚心坦懐に聞き入れて反省し、今後のためのフィードバック(事後検証)を行う必要がありましょう。




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