現代人の法話 
〜 外の世界に関心を 〜

 去る五月、オーストリアの首都ウィーンで、世界各国首脳のOBサミットが開かれ、大統領級の政治家と共に各宗教界の指導者も招かれました。その席上、ドイツのワイッゼッカー元大統領が発言し、宗教界に対して最近、世界各国で頻発する宗教間の紛争に触れ、「なぜ平和や寛容を説く宗教から原理主義が生まれ、国家や宗教や民族間紛争の原因となっているのか?宗教指導者はもっと宗派内の統制にカを尽くすべきだ」と苦言を呈したそうです。
 これに対して、わが国から塩川元財務相と共に仏教界を代表して参加した本派本願寺の大谷光真門主は、「日本の仏教はこれまで(平和に関して)何もしてこなかったことで、世界に害も与えてこなかった。しかし何もしないということは、悪いことをそのまま残していることです。(これからは)何かすることが大切だと思います」と発言しました。そして、仏教の『法句経』からの「怨みは怨みによってやまず、怨みは怨みなきによってやむ」という一節を述ベ、この会議の決議文に挿入されたそうです。(朝日・五月二三日号)
 たしかにわが国は割合、治安が良く安全で(首脳国間で第一位)、政府は中近東の紛争国に自衛隊の平和維持軍を派遣し、宗教間の争いも皆無で、お互いが平和裡に共存していますが、だからといって他国の現状に無関心でいいわけがありません。ところが残念なことに、そうした紛争の火の粉が直接降りかからないことをいい幸いに、日頃、世界の平和に対する関心が薄く、対岸の火事を高見の見物気分でいる人が多いようです。
 かつて米国の政治社会学者セイマー・リップセットは「一つの国だけしか知らないことは、どこの国も知らないことと同じだ」と述べたことがありますが、この際、わか国は政治家も宗教家も国民もおしなべて、世界の紛争多発国に対して、積極的に平和共存を唱導し、身を以て示す必要があろうかと思います。そうでなけれぱ、わが国はただお金を拠出するだけで、他国から信用も尊敬されることもなく、ますます孤立化することになるでしょう。




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