現代人の法話 
〜 自分に宿題を課す 〜

 毎年のことながら、新年を迎えると何か空気までも新鮮に感じられ、気分が一新するから不思議なものです。こうした時こそ、来る一年に自分のなすべきことを心を新たにして神仏に祈り、自らに誓うことが大切ではないかと思います。
 作家の五木寛之さんはかつて、「人生に目的があるのか、私はないと思う。何十年も考えつづけてきた末に、そう恩うようになった。しかし、やはり人生に目的をもちたい、と思うのが目然な人間の心のはたらきだろう」と述べています。私も同感で、自分がつい怠けがちになるところから、何か具体的な目的をもって生きて行くべきだと考えました。
 そうしたことから、住職就任の四十年前に、皆さんとのこころの交流の一助になればと、毎月『寺報』を発行することを仏前に誓い、これが自分に課せられた宿題(目的)だと言い聞かせて来ました。しかしながら「三日坊主」のたとえのように、途中で何度か「もう止めようか」と思ったこともありました。が、読者各位の期待と協力のお蔭で気持ちを取り直し、どうやら今日の五百号を教えるまで、毎月欠かさず発行することが出来ました。不思議なことにこうした目的をもつと人生に生き甲斐が持て、心身の健康にも役立つことに気づきました。これも一重に仏天のご加護と読者の皆さんのご支援の賜物と心から感謝しています。今後、どこまで続けられるかわかりませんが、こ要望がある限り、引き続き心を新たにして日頃の所信を綴って行きたいと思いますので、御愛読の程、お願い申し上げます。




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