現代人の法話 
〜 何のための進学か? 〜

 最近、どこの町へ行っても受験塾が花盛りで、親は自分たちの見栄や子供の将来思いからか、教育費に糸目をつけず子供を受験塾に通わせ、その成績に一喜一憂しているようです。子供を幼少の頃から同僚との競争に勝ち抜くことに専念させ、親はその偏差値の高低に憂き目をやつしている姿を垣間見るにつけ、過酷な世の中を生き抜かなければならないことは自明の理ながら、こうした受験戦争に直面し、巻き込まれた子供の将来はいったいどうなるのかを考えるのは私だけの紀憂にすぎないのでしょうか。
 この受験戦争に勝ち抜けるならまだしも、そこから落伍した子供はどうなることでしょう。おそらく劣等感にさいなまれ、卑屈な子供になって自堕落な生活を送るようになりかねません。そもそも人間らしい生き方とは、よい学校に入学し、資格や肩書をえて就職し、高収入をえて生活が安定することではないはずです。にもかかわらず親も子もおしなべて、そうした世間的な成功を夢見て受験戦争に立ち向かい、知力だけが人生のすべてだと勘違いして、屁理屈だけは一人前の人間を仕立てているような気がしてなりません。要は身心共に健康で自立し、周囲を思いやり、社会的に役立つ人間になることで、肩書や地位や名誉は二の次であるべきです。
 アメリカの週刊誌『ニューズウイーク』(昨年8月21日号)によると、世界の大学ランキングで、トップがハーバード、2位がスタンフォード、3位がエールで、わが国では東京大学が19位、京都大学が25位、それ以下の大学は推して知るべしです。わが国には300以上の大学があり、名前だけは一人前ながら、教授陣、学生共に世界的に通用する人材が払底し、中高生以下の学力も低下の一途を辿っています。もし子供がほんとうに学問が好きで実力を身につけたいなら、高い教育費をかけて無理して受験塾に通わせるよりも、そのお金で海外へ留学させ、他流試合をさせてみることです。そうした余裕もなく、子供が学問に不得意なら、「好きこそ物の上手なれ」で、自分の得手を活かすような他の道を選ぱせたぽうが、どれほど本人のために得策となることでしょう。




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