現代人の法話 
〜 あなたの命日教えます 〜

 「まだ自分は死んでもいないのに命日を教えるとは何事か」といぶかしく思われるかもしれません。でも、ほんとうに教えて上げられるのです。その前に「あなたの誕生日を教えて下さい」。たとえぱ私の誕生日は三月二十四日です。それが私の命日です。どうしてそうなのか?これからよくお聞き下さい。
 かつて東京・深川の法禅寺に関円察という傑僧がおり、その下で学僧の友松円諦は修行をしていました。師は毎朝の勤行で、仏前の自分の位牌に向かって拝んでおり、小僧である友松師に「自分の誕生日を命日にしておけ」と言ったそうです。不思議に思って「なぜ誕生日が命日なのか」と尋ねたところ、「どうせ人間は何時か死ぬのだから、誕生目を命日にしても一年も違うわけがない」との答えだったそうです。そう言えぱ、早くても六力月、遅くても六力月間の違いで死ぬ目が確実に訪れます。
 私はこれを聞いてなるほどと思いました。というのは、「会うは別れの始め」と言うように、われわれは生まれた時点で死の別れが始まるからです。誕生日に死ねぱ本望ですし、それ以降になれぱ、それだけ長生きができ、以前でも前年の誕生日以降、長生きしたことになります。したがって、何時寿命が尽きるか「天のみぞ知る」で皆目わかりませんが、いつも誕生日である命日に向かって、自分に授かったいのちを毎日、大切にすることができます。死というゴールを目前に控えて生きることは、自分の人生にはりあいが生まれて、何んと嬉しいことではありませんか。
 私たちは昨晩、寝た時点で仮死し、今朝、再生できたと考えれぱ、今、生きられる有難さがわかるというものです。




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