現代人の法話 
〜 しあわせは一瞬の間 〜

 私たちには生存欲や睡眠欲などの本能の他に、食欲、物欲、名誉欲、性欲などの欲望があり、生きているかぎり一生ついてまわります。しかしながら、その欲望を満たして満足感をえられるのはおそらくたったの四、五秒ではないでしょうか。そのたった数秒間の満足感を得るために毎日、汗水流して働く日々を送っているのです。たとえばお腹が空いて、喉が乾いて、念願の食べ物や飲み物を口に入れ、舌先三寸を通り越す瞬間はたしかに「うまい!」と実感しますが、「喉元過ぎれば何とやら」で、元の木阿弥に戻ってしまうのではないでしょうか。
 「幸福」という名のしあわせをうることも同様です。誰しもしあわせになりたいと願いつつも、実際にしあわせを実感できるのは自分の念願が達成された瞬間で、いつまでもそれが続くとはかぎりません。努力の甲斐があって長年の念願が叶い、欲しいものや最愛の伴侶を得て「幸福感」を実感できたのも束の間で、次の瞬間にはむなしさに襲われ、他のものに手を出したり不幸に見舞われる人が何と多いことでしょう。これは東西古今、いつの時代でもどこにあっても事実のようで、ロシアの作家ドストエフスキーも「幸福は幸福の中にあるのではなく、幸福を手に入れた瞬間にある」と喝破しているくらいです。
 もし「満足感」や「幸福感」がいつまでも続くとしたらどういうことになりますか。テレビではよく「大食い競争」番組を喧伝していますが、参加者の胃袋が達成後、はたして快調かどうか大いに疑問です。いくら美味しいケーキなどの大好物を口に入れても、それはせいぜい一個か二個で、十個も二十個も食べなくてはならないとなったら快感どころか、見るのも嫌になってしまうことでしょう。そのくらい快感ははかないものなのです。




Back