現代人の法話 
〜 真のしあわせとは 〜

 いったい、私たちがこの世に生き、何時かは去って行く運命にありますが、その間、私たちのほんとうのしあわせとは何なのでしょうか。
 鎌倉時代の吉田兼好は『徒然草』で、「名利に使われて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし」と述べているように、いかにこの世で地位、名誉、財産などを獲得するためにあくせく働いたところで、それが社会のために何の役に立ったというのか。ただ自己満足しただけではないのか。それを得るために争ったり、傷つき合ったり、憎しみ合ったりして心を煩わせてストレスを溜めているだけではないのか。そんなことに執着するのは愚かなことだと言うのです。
 そうした名誉や地位や財産は、あったほうがないよりましかもしれませんが、所詮、生活の手段であって目的ではないはずです。それを取り違えて、生きるためでなく、自己満足や遊興のために他を蹴落とし、中には犯罪を犯してまでも、一生を台無しにする人が何と多いことでしょう。
 そんな人への指針として、伊達政宗は『遺訓』で次のように述べています。「仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎればへつらいとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。気ながく心穏やかにして(中略)この世に客に来たると思えば何の苦もなし。」
 私たちは世間の些事に執着せず、真にしあわせになる道を求めて精進努力すべきでしょう。




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