現代人の法話 
〜 頼まれた方が優位に? 〜

 最近、元米国大統領のビル・クリントン氏が、北朝鮮に拉致され、十二年強制労働の判決を受けて人質となった二人の米国人女性ジャーナリストを解放するために同国を訪れ、金正日政権に頼んで恩赦を受けて無事に連れ戻した事件がありました。
 こうした国際政治のみならず、私たちの周囲でもよく見かけます。例えば頼み事などで、良識ある人ならぱ相手の弱みにつけこんでの見返りを求めず、自主的判断に基づいて最善を尽くすことでしょう。しかしながら腹に一物ある人ならば、依頼されたことを恩に着せて相手に貸しを作り、依頼者はその負い目を甘受しなければなりません。
 卑近な例ではお金やモノの貸主より借主が優位に立ち、約束通りの返済を要求してもナシのつぶてで、裁判にかけても埒があかず、貸主はその手間ヒマに精神的、肉体的疲労が重なり、根負けして結局のところ「やられ損」で貸し倒れとなり、「こんな結末なら最初から貸さなければよかった」と後悔するようなものです。
 今日のデフレ時代にあっては、金融業では資金不足や貸し倒れを恐れて生産者への融資をしない、生産者は借金してモノを作っても売れないから借りない、消費者はモノ余りから必要品以外は買わない、そして金融業の破綻を恐れて預金しない、こうした悪循環の「三すくみ」が常態化しつつあります。
 特に経済不況の折りから、モノやお金や人あまりが顕著で、「買ってやる、使ってやる、働いてやる」受給者側が優位に立ち、このまま推移しますと誰もが相手へ与えることよりも貰うことを優先し、生産活動が停滞してわが国はますます衰退の一途を辿るばかりでしょう。そうならないためには、与える側の努力が報われるような社会の確立と、良識ある人材を養成する以外に方法はなさそうです。





Back