現代人の法話 
〜 日本人は烏合の衆か? 〜

 日本人くらい祭り事(イベント)の好きな国民はいないといわれ、自主参加の最大の行事といえぱ正月の初詣や総選挙などが挙げられるのではないでしようか。しかしながら、そうした行事も一部の人を除いて、信念に基づいて参加しているわけでなく、ただ何となく慣習に従い、義理はたしのつもりのようです。その証拠に、例年、都内随一の参詣客の多い明治神宮へ行く目的を聞いても、大部分の人は祭神である明治天皇の何たるかも知らず、家内安全、商売繁盛、病魔退散などを祈願しているという答えが返って来ます。
 政治の世界でも、一部の人を除いて、「自分は民主党員だ」とか「自民党員だ」と名言する信念の人は少なく、「寄らば大樹の蔭」で、そのときの状況や利害関係から、自分に有利な集団に寄り集まる傾向があるようです。かつての権力者・田中角栄は「政治を動かすのは力だ。その力を動かすのはカネだ」と言ってはばからず、日本列島改造論をカネの力で実行に移しましたが、今日でも人を集める力となるのはどうもお金のようです。
 そんな日本人を一気に糾合できるのは、おそらくかつての戦争のときのように、一端緩急ある場合のみで、それ以外はそれぞれが私利私欲を中心にお金儲けができそうなところを右往左往しているのが実情ではないでしょうか。国政を預かる政治家にしても、昨日まで自民党の重鎮であった者が今日は離党するといった腰の軽さは目に余るものがあり、国民までもこうした気骨のない人ぱかりになったら、いったい日本の将来はどうなることでしょう。
 いくらお金の力によって人が集まったところでそれは烏合の衆にすぎず、カネの切れ目が縁の切れ目で、すぐ離散してしまうことでしょう。





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