現代人の法話 
〜 お寺は月月火水木金金 〜

 最近、政官業界同様、一部宗教家の不祥事がマスメディアを通して喧伝されるところから、宗教界はあたかも全体が伏魔殿であるかのように印象づけられ、国民から宗教自体が不信と疑惑の目で見られているようです。これは今に始まったことではなく、わが国では江戸時代に寺請け制度が確立されて以来、とくに仏教界は徳川幕府の庇護の下、「寄らば大樹の蔭」で権勢を振るった結果、僧侶を茶化す傾向があることは事実です。
 明治維新以降は、折からの廃仏毀釈、信教の自由や政教分離政策によって仏教界は精神的、経済的に大打撃を受けたにもかかわらず、近代化を進めて対処し、不死鳥のように復活しました。各宗教教団は「法人」として認可制から認証制に移行するに及んで独立し、新興教団も雨後の竹の子のごとく乱立し、その間隙を縫って、中にはオーム真理教のような反社会的教団や、政府の宗教への不介入や税制面での優遇制度を抜け穴に悪用し、金儲けの手段として宗教を利用するところも輩出しました。こんなところから国民から、宗教や宗教家に対する無関心や不信感が生まれて来たのではないかと思います。
 私なども幼い頃、寺で育ったところから近所の子供から「かんかん坊主、クソ坊主」とか「坊主の丸儲け」などと揶揄され、どれだけ幼な心を傷付けられたか量り知れません。おそらく国民の多くは仏教界の実態を知らないところから、「隣の芝生はよく見える」の例えのように、そこで生活する寺の僧侶は広い境内と庫裏に住んで、優雅な毎日を送っていると考えているのではないでしょうか。
 かつてインドで仏教の開祖・釈尊が町に出て托鉢をしていた時、ある農夫から「われは自ら田を耕し、種を蒔き、しかる後に食する。なんじもまた自ら耕し、種を蒔いて、しかる後に食したらどうか」と尋ねられたことがあります。そこで釈尊は「われもまた耕す。種を蒔いて、しかる後に食す」と答えられたといいます。(『相応部経典』七)
 当時のインドはちょうど地方中心の農耕社会から都市中心の商業社会への移行期にあたり、職業の分業化が進行した時代でした。すなわち生活必需品の物々交換という実体経済から貨幣を介在した金融経済への転換期にあたったわけです。したがって、農業や生産業者などのようにモノを作る人と共に、売る人も同様の価値ある職業として公認されるようになったのです。今日の近代工業化や情報化社会ではそれ以上に職業が分業化され、実際にモノを生産しなくても、政治家、公務員、弁護士、教師、医師、金融業者、芸能人、スポーツ選手などは立派な職業として独立しており、宗教家も同様に、人々に抜苦与楽の安心を与える職業として尊敬されて来たわけです。こうした特殊技能をもった専門家は、人心の安寧や社会の発展に寄与し、いずれの国でも必要不可欠な職業として存在しています。
 わが国の仏教界も同様に、宗教家は関係する信者への葬儀、法要などを通じて宗教教化事業に携わり、その共益性も持つばかりでなく、社会に向けても地方自治、教育、福祉、医療、教誡事業などへの公益性を発揮しています。世間ではとかく寺院は住職の私有財産であるかのように考え勝ちですが、事実はさにあらず(個人所有の住居は別)住職のものでも檀信徒のものでもなく仏のものです。それは宗教法人として登記され、住職や役員は一致協力してその維持、管理、発展に尽力する責任があります。
 よく寺院は葬儀の布施が高いと揶揄されがちですが、寺院の堂宇、境内や墓地へは、国家的重要文化財は別として、政府からの補助金は一切なく、その経営は独立採算制で、住職、寺族共に一般の給与所得者同様、確定申告し、普通のサラリーマンと同じ月給制です。一般的な企業体では公私を問わず、役職者やサラリーマンは任期や勤務時間が終われば退職や退社し、日曜祭日には休暇がとれますが、寺院は年中無休で日夜、席の温まる暇などなく、深夜でも緊急の場合はたたき起こされてあらゆる事態に対処しています。その上、日課として、鎌倉の円覚寺などでは、夏には毎朝三時、冬には五時に起床して朝課に勤めています。
 拙寺でも住職就任以来、過去四十五年間、春夏秋冬共に一日として毎朝六時の時鐘打ちを欠かさず、それに付け加え月報を発行して檀信徒に配布し、寺の活動状況を公報し、一度として家族揃っての旅行をしたことがありません。住職、寺族の生活のための必要経費以外、日頃の収入はすべて寺院、境内、庭園の整備、不時の災害、法人課金、社会福祉などに当てており、布施、賽銭、買い物のお釣りはまとめて十年毎に毎回百万円をユニセフなどの社会的慈善団体に寄付しています。ときには記念事業などの予算が不足した場合は、住職は兼業の大学からの給与や出版物の印税から充当しているくらいです。
 一部僧侶の中には、例外として寺の収入を私物化し、高級外車を乗り回して遊興にふける者もいることでしょうが、それは極めて少数で、多くの僧侶は檀信徒への奉仕に明け暮れしているのが実情で、私の知人の僧侶などは日夜、一般の人々の相談にのり、近くの病院へ無償のボランティアとして働いています。多くの僧侶はこうした隠徳行為をPRしたがらず、黙々と奉仕に甘んじるところから(中には手抜きして)悠々自適な生活を送っているのではないかと誤解され、たまに不祥事が起きると、珍事であるところからマスメディアは大々的に取り上げ、あたかも僧侶全体がそうあるかのような印象を与えているのでしょう。
 明治の開国以来、わが国は近代化、西洋化に猪突猛進し、ある程度成功し、とくに戦後は官民揃って復興に精を出し、折からの特需景気で高度経済成長をなし遂げ、世界第二の経済大国にまでのし上がりましたが、それも束の間で、最近ではバブルがはじけ、リーマンショックによって追いうちをかけられ、寺院は折からの経済不況や檀信徒の過疎過密化で経営維持に支障をきたし、兼業を余儀なくされているところもあります。にもかかわらず、多くの寺院は宗教本来の役目を忘れず、孤軍奮闘していることも事実です。
 今日では科学技術の発展により、快適な消費生活を送れる便利な世の中になり、経済格差はますます広がるばかりで、地味な寺院生活は時代から取り残される憂き目に遇っています。が、いくらわが国が近未来的な高層建築物や遊興施設を自慢しても、外国人は見向きもせず、それらはたかだか数百年の寿命で、万一不況のあおりで倒産でもした暁には管理維持が行き届かず、直ちに荒れ地と化していることでしょう。最近では、国民の少子高齢化や経済事情を反映してか、マスメディなどを通じて葬儀の簡素化や墓地不要論が台頭していますが、親との死別に際しての葬儀や先祖への追善供養の軽視は、同時に本人の死や追慕の軽視になりやしないかと危惧します。また、墓地不要論は、(個人所有墓地は別として)墓地使用者の管理費の滞納、不払いや墓石の置き去りを促進させ、その多額の負債や撤去費用をいったい誰が支弁するのでしょうか。 知日家のデニス・キーン氏はその著『忘れられた国日本』(講談社刊)で、「明治以降で、日本が犯した最も大きな過ちは、自らの伝統を軽視してきたことだと私は思っている。その結果、日本の伝統は明らかに死にかけている。このままでよいのであろうか」と疑問を投げかけています。今日、極右や国粋派でもなく、世界に誇るべきわが国の伝統文化を忠実に守って来た組織は、宗教界や伝統文化保持団体以外ではきわめて少数です。そうした現状にあって、わが国の仏教界は政府に頼らず、寺院住職は檀信徒の協力を得て、過去数百、数千年もの間、仏閣を立派に管理、維持して現在に至っています。もしそうした伝統や歴史的に由緒ある建築物を放置し、自然消滅させたとしたなら、わが国にはいったい誇るべき何が残るというのでしょうか。





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