現代人の法話 
〜 仏教とは?仏教の修行とは? 〜

 中国の唐時代を代表する詩人であり、日本の文学にも大きな影響を与えた、"白楽天" (本名は白居易)にこんな故事が伝わっています。白楽天は若い頃、唐の中央政府にあって順調に高級官僚コースを歩んでいましたが、四十歳を超える頃に母親、続いて幼い愛娘を亡くし、さらには仕事でも失脚、苦悩した彼は仏教に傾倒して行きます。そして50歳になり杭州という地方へ都落ちした際、その地に松の木の上に住み、坐禅の修行をしている道林という徳の高い和尚さんがいることを聞いて、早速会いに行きます。そして木の上で坐禅している道林和尚にこう尋ねました。
「仏教とは何ですか」と。
すると、道林和尚は、『七仏通誡偈』と呼ばれる偈(詩)を示されます。
諸悪莫作(しょあくまくさ)―もろもろの悪を行うことなく
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)―もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい)―自ら心をきよらかにする
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)―これが仏の教えです
 これを聞いた白楽天は「そんなことは、三歳の子供でも知っています」とあきれ顔をします。しかし道林和尚は動ずることなく「三歳の子供が知っていても、八十歳の老人ですらこれを実行出来ないものだ」と答え、感服した白楽天は以後道林和尚の元で仏教の修行を志すのです。
 この故事は、誰もが分っている簡単な事でも、いざ実行することは難しい事を示しており、言い換えれば、「わかる」と「できる」とは全く異なるということを教えてくれます。そして仏教の修行は「分っている事」を「出来る事」にする、近づける方法を教え示しているのです。日本には多くの宗派がありますが、登山に例えるならば、宗派の違いはその登山ルートの違いに過ぎず、頂上(理想)は一つ、『七仏通誡偈』になります。
 ちなみにその後、白楽天は再び都に返り咲き、刑部尚書(今の法務大臣に当たる)まで登りつめ、晩年は洛陽にあって詩と酒と琴を友に悠々自適の生活を送ったと伝えられます。





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