現代人の法話 
〜 み仏は見てござる 〜

 

題名の『み仏は見てござる』とは、かつてある高僧が仏教とは一言でいうと何ですかという質問に答えた時の言葉である。

これには二つの面があると思う。一つは止悪=A二つにはご加護≠ナある。止悪≠ニは仏様がいつも自分を見て下さっていると思うと悪い事は出来ないという意味である。悪事というのは人の目を盗んでこっそりやるものと相場が決まっている。しかし「他人の目を盗むと自分の心が盗まれる」と言うように、人の目を盗んで悪事をしても、その時は得をした気がするが結局自分の大切な心〜正しさ、正直さを損ねるものである。人間は弱い心の持ち主である。しかし仏様が見ているという意識を持つ事により、悪事の誘惑を抑えられる場面も多々あると考える。

次にご加護≠ニは、仏様がいつも自分を見守って下さっていると思えば、安心でき、自信が付き、進んで善い事が出来るという意味である。『観無量寿経』の中の一文に「阿弥陀様のお慈悲は全世界を平等に照らし、お念仏する人々を必ずお護り下さり、極楽浄土へとお導き下さる(私訳)」とある。この文は摂益文≠ニ呼ばれ、読経の際には必ずお念仏の前に唱えられ、また法然上人が八十歳でご往生される際の最後の言葉であったと伝わる尊い文である。人は見守って下さる方がいると安心できる、力も出る。スポーツの応援がよい例である。

また私の大先輩には夫婦喧嘩になりそうになると「南無阿弥陀仏…」とお念仏を称える方がいらっしゃる。お念仏を称え、仏様のご加護を意識し、怒りに心を委ねないのである。

人は時に自分の心をコントロール出来ない時もある。怒り、ねたみ、また貪欲などの煩悩、悲しみや孤独の苦しみ…、そんな時には「南無阿弥陀仏」と称え、阿弥陀様をはじめ、仏様がいつも私達を見守って下さっている事を思い出して欲しい。


後の世もこの世も共に南無阿弥陀佛

仏まかせの身こそやすけれ


※この文章は四月の増上寺大殿説教の内容をまとめたものです。



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