現代人の法話 
〜 「祈り〜東日本大震災7回忌に」 〜

東日本大震災7回忌を迎えようとしている今般(こんぱん)、『地域寺院』という小冊子にジャーナリストの北村敏泰氏が印象深い記事を書かれていたのでご紹介したい。

東日本大震災の後、宮城県石巻市の遺体安置所で、ブルーシートにくるんだ赤ん坊の小さな遺体を抱きかかえた母親がいた。まるで死んだように放心状態ながら、支援に訪れた若い僧侶らにわが子への読経を依頼する。ところが津波の泥が赤ん坊の口や耳の中にまで詰まっていて、居合わせた人たちも手伝って、ようやく何とかきれいにした。すると最後に残った赤ん坊の眼の中の泥を、母親はなんと自分の舌でていねいに、一生懸命にぬぐい取ったのだ。その場にいた僧侶たちは、もう涙がこみ上げて読経ができなくなった。そこで、皆で一緒にひたすら合掌し、ひたすら祈ったのだ。

すると母親は、少しは落ち着いてわが子に言う。「安らかに眠ってね。ママにしてくれてありがとう。短い時間だったけど幸せだったよ。」と、涙ながらに語りかける姿に、僧侶たちは「祈り」の力を感じたという。

また福島を中心に支援を続けた東京の僧侶は語った。「祈りで空腹が満たされることも、瓦礫(がれき)が片付くこともありません。でも人は抗(あらが)えない理不尽(りふじん)さに直面した時、『祈る』行為によって自分自身を見つめ、他者の痛みを感じることが出来るのです」と。(以上記事の一部を引用)

確かに祈るだけでは現実の問題は解決できない。しかし祈りによって前に進める力を得られる事、そして祈ることで気付く大切な事もある。来る3・11、共に祈りを捧げたい。




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