現代人の法話 
〜 「お施餓鬼のこころ〜人の為に」 〜

いよいよ1年に1度、全檀信徒の皆様が一堂に会しご先祖様や大切な方のご供養をするお施餓鬼が近づいて参りました。

お施餓鬼とは、お釈迦様のお弟子・阿難尊者の身に起こった故事を由来として、誰にもご供養してもらえない憐れな餓鬼たち(仏教に説く地獄に次ぐ苦しみの世界にいる亡者)に施し〜ねんごろにご供養することで得られる功徳≠、お浄土におられるご先祖様方にご回向〜回し向けてお喜びいただく法要であり、その根幹は、他人(餓鬼)の為に善行を積む利他行≠フこころである。

仏教の修行では智慧と慈悲とを2本柱とする。慈悲とはあるお経には「抜苦与薬」と訳され、他人の苦労や悲しみを取り除き、楽しみや癒しを施すことで、観無量寿経では「仏の心とは大慈悲これ也」と説かれる程に大切な修行徳目である。一見すると他人のために行う利他行は無駄に思われるかもしれないが「情けは人の為ならず」と格言にもあるように他人への情け〜利他行は最終的には自分への善果、幸運として必ず還ってくるものである。(無論それだけを期待するのは邪道だが…)

そしてそのこころは「人のために灯をともせば、自分の前も明るくなる」、「むさぼる人貧しく、施す人は豊かに生きる」、「人の価値とは、その人が得たものでなく、その人が与えたもので測られる」などの名言でも表現されている。

来たるお施餓鬼では多くの方々のお参りをいただき、共に手を合わせ、お念仏を称え、真心を込めて利他行≠修行したい。




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