現代人の法話 
〜 「支えあって〜平昌オリンピックを観て」 〜

 

お隣・韓国において冬期オリンピックが開催され、日本人選手も大活躍、明るい話題で盛り上がっている。テレビ観戦をしていると同じ人間かと思える力と技に驚き、また選手のひたむきな姿に感動を覚える。

 

そんな中、前回4年前のソチオリンピック大会での雪辱を誓って努力を重ね、メダル獲得を果たした代表選手のドキュメンタリー番組を見た。そこには選手本人だけでなく、選手をサポートするコーチ、医療関係者、道具の開発者、家族友人など様々な人たちの支援、あらゆる努力が選手のためにはらわれる姿が映し出されていた。これを見て改めて感じたのは、競技後に選手が語る感謝の言葉は-きっと大勢の人に支えられ、ここまで来れた事を思い起こし、噛みしめながら心からの言葉と、心をうたれた。

 

ところで私たちも日々の生活で多くの人々に支えられている。すべてを自給自足で賄っていない限り、衣食住等どれをとっても他人様の働きによるものである。確かにお金を出しているかもしれないが、お金を物々交換の手間に代わる単なる道具と捉えれば、お互いが自分の仕事によって支えあっていると言えよう。永六輔さんの詞に「生きているという事は誰かに借りを作る事。生きていくという事はその借りを誰かに返していくという事」とある。オギャーと生まれたその日から大勢の人のお世話になって成長し、大人になったら、自らの仕事で身近な人やどこかの誰かを支えていく。お互い支え、支えられて世界は回っているのである。お釈迦様はそれを「縁起の世界」と呼ばれた。心の平安はそれを理解し感謝できるところにこそ訪れる。



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