現代人の法話 
〜 「一水四見」 〜

仏教に「一水四見」という教えがあります。水という一つのものでも、見方によっては四つの違った見え方があるという事で、同じものでも見る人の立場や見方によって異なった捉え方があるという教えです。例えば同じ水でも、魚にとっては住処で、人によっては飲み物である。また空から降れば雨であり、それも晴天を望む人にとっては好ましくなく、農作物には恵みともなるのです。

 思えば人はそれぞれ生まれ育った環境、受けた教育、体験などによって、それぞれの価値観、物差しがあり同じものに対しても見方、感じ方、考えが異なるのは自然なことです。身近な人間関係〜親子・夫婦・嫁姑・友人・職場関係から広くは国内・国際問題の対立やトラブルは、それを忘れて自らの意見、立場だけに固執(こしつ)し主張するところに一因があるのではないでしょうか。

「一水四見」―相手の立場になって考えてみることが解決の糸口になることを仏教は教えて下さっています。これを日本仏教の父といわれる聖徳太子は「われ必ずしも愚かにあらず。彼必ずしも愚かにあらず。共にこれ凡夫のみ」と己も他人もそれぞれの価値・主張を持った同じ人間であることへの気付きを促し、また翻訳家の樋口裕一氏は「教養とは、自分とは違う価値観をも許容することだ」と他者の立場を認め尊重する事こそが人生の豊かさ、ひいては安寧につながると諭し示して下さっています。(本文は施餓鬼会で配布の小冊子『正念』を参考にさせていただきました。)



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