現代人の法話 
〜 「今、命を考える」 〜

新型コロナウイルスの感染拡大、そしてその影響が非常に大きく、世界中が懸命に知恵を絞り努力しているにも関わらずなかなか終息も見えて来ない。(4月20日時点)

思えば私たち人類の歴史は様々な感染症との戦いでもあったとも言えよう。ペスト、コレラ、エボラ出血熱、インフルエンザ等々、大きな犠牲を出しながらも医療・公衆衛生等が発達しそれらを乗り越えて来た。新型コロナウイルスは現時点で明確な治療法、特効薬、ワクチンが無い事が最も不安であるが、WHOによればインフルエンザよりも感染力は弱く、死亡率はインフルエンザ以上SARS以下との発表されている。なおインフルエンザは予防ワクチン、薬も存在するが、統計によれば昨年は日本国内で約3千人、アメリカでは数万人の死亡者を出しており、報道等ではあまり目にしないがまだまだ充分に注意を必要とするものである。(インフルエンザは羅病数をも完全に把握できていない)

一方新しい感染症の報道は常にセンセーショナル・扇情的であり、マスメディアも冷静にデータを読み解く報道もあれば、いたずらに恐怖を煽るTV等々、玉石混淆で、さらに私たちを混乱させている感がある。私たちはこの状況の中で大いに不安もあるが、「危機は人間の最善の部分と最悪の部分をさらす」という言葉があるように、今こそ私たちは理性を保ち、それぞれが置かれた立場において精一杯努力し、周囲と一致協力、自身の健康と他人への気遣い、そして医療従事者をはじめ人様への感謝を忘れず、最善の行動を築いていきたいものである。

今般の緊急事態宣言は感染症から命を守るためのものであるが、この危機をあらためて命について考える機会としてとらえると、実は昨年1年間で日本では様々な原因によって約137万人もの命が失われ、高齢化により2040年には年間死亡者数約160万人との予測もある。これらは言うまでも無く一人一人の命であり、そこにはそれぞれの人生があり、縁ある人たちの寂しさ悲しみがある。思えば私たちの命は有限、永遠ではない。しかし限りがあるからこそ命は輝き、感動が生まれ、尊いのである。お釈迦様の言葉に「つとめ励むのは不死の境地に至り、怠りなまければ死の境地に至る。つとめ励む人々は死ぬことがなく、怠りなまける人々は生きた屍である」とあり、つとめ励む精進≠アそが命の意義で、不死とは悟り≠ナあると同時にその姿・影響が後世にまで続く事と受けとめられる。私の大先輩僧侶にも「人生なんぼ長くても約百年、ならば一つでも多く善い事を、次世代に良き影響を遺していきたい」との道をご教示いただいた事もあった。

また「最上の真理を知らずに百年生きるよりも、最上の真理を知って一日生きる方が良い」というお釈迦様の言葉は、私にはかのインドのガンジーの名言「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるがのように学べ」に通じるように感じられ、今ここで亡くなったとしても後悔しないように一日一日を精一杯生きていく事、そしてそれを積み重ねていく大切さを教えてくれる。

命は儚い。だからこそ一日一日を精一杯生きる精進≠心掛け、良い輝きを遺していきたい。そしていざお浄土に往く時には、良い人生だったと振り返えられるように、また多くの人に感謝の心で旅立てるように歩んでいきたい。



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