現代人の法話 
〜 「ご供養の語源について」 〜

 今年の8月お盆にお配りした浄土宗発行のリーフレットに「供養≠ニは本来は供物養心≠ニいい、仏さまや亡き方に手を合わせ、お供え物をすることにより、自分自身の心を養わせていただける」とあった。実ははじめ「あれっ」と思った。私の知識として供給資養≠フ略と認識していたからだ。そこで少し調べてみた。
 結論から言うと実はこの2つの言葉は同じ意味であった。供物≠ニ供給≠ヘ同じく「お供えをする事」を、そして資養≠フ「資」を私は「もと」つまりご先祖様と解釈していたが、それだけでなく「手元」つまり「己の心」という意味もある事から養心≠ニ同じ語義になる事が分かった。
 供養≠ニは古代インド語の「プージャー」等が語源といわれ、本来「尊敬」を意味する事から、仏様に対して尊敬の念からお香や華、飲食物等のお供物を捧げる行為となり、それが日本に入ってご先祖様等にお供物をし、ご法要を営む意味へと発展したようである。残念ながら出典を探し出すことは出来なかったが、いずれにしても「仏様、亡き方に対して真心をもって様々なお供えをし、同時に自分自身の心を養う」のが供養である。特に後者の心を養うというのは、手を合わせ仏様、亡き方を想うことでその徳に接し、心が穏やかになり悩みが整理され、また自身の心を謙虚に見つめ直すことである。お墓参りをされると「気分が晴れる、心がスッとする」という方が多いのもその効果である。思えばご法事の○回忌という表現にも忌=A分解すると己の心≠ニなる漢字が使われている。これもご供養が単にお供物を供えるだけでなく、己の真心を捧げ、かつ自身の心を見つめ、良き方向へと養うという意味であろう。
 これから秋のお彼岸を迎える。ぜひ皆様が供物養心≠フお気持ちで良きご供養をされることを心よりご祈念申し上げます。



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