現代人の法話 
〜 「影あり 仰げば 月あり」 〜

 表題の詩「影あり 仰げば 月あり」は仏教詩人として知られる坂村真民氏の作で、短い詩ですが、いろいろな解釈が出来る深い意味が感じられ、私の感じる所の一つをお話ししたいと思います。
 私達の人生にはいろいろな事が起こります。嬉しい事もあれば、辛く悲しい事も時にはあるでしょう。その苦しい状況、苦悩する心を影≠ニするならば、その影によってきっかけを得て、明るい月の光、すなわち仏様の慈悲、ご加護を感じ取る事が出来る、つまり影があったからこそ明るい光に出会えるという事もあるのです。
 時に「私には仏教は必要ない」という方もいらっしゃいます。人生順風満帆、辛い事も悲しい事も無いよという方、羨ましい限りでそれはそれで素晴らしいと思いますが、それが何時まで続くのか誰にも分からないのが人生です。そんな時に心の支えになってくれるものー家族や友人、座右の銘や書籍などもありますが、私は仏様をお薦めいたします。なぜならば心に仏様を仰ぐ人と仏様とご縁の無い人では生き方が全く違ってくると思うからです。
 法然上人の御作で「月影の至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」という浄土宗の宗歌でもある和歌があります。古文であるこの場合月影≠ヘ月光による暗い影ではなく、月の光そのものを指し、阿弥陀様の慈悲の光を象徴しています。つまり「月の光のように阿弥陀様の慈悲の光はすべての人を照らしているけれども、それを仰ぎ眺め、気付いた人の心にこそ澄みわたる」という意味になります。仏の慈悲に気付けば、その本願であるお念仏に導かれ、心の平安が得られ、すべてのご縁に感謝できる安らぎの人生となる事でありましょう。



Back