現代人の法話 
〜 「悪魔の証明?」 〜

 ある高名な仏教学者が「もはや極楽浄土はファンタジー、おとぎ話の様なもので、現代人には信じていただけない」と著書で述べておられた。確かに科学的に証明できない極楽浄土の存在を信じる事は現代では難しいかもしれない。
 表題の悪魔の証明≠ニは故安倍首相が国会答弁の際に使われ注目もされた言葉で、無い事を証明する無理さを言います。つまり○○が存在する事を証明するには、実際の事例を示せば可能ですが、○○が無いという事を証明するのは、存在すると想定されるすべての可能性をつぶさなければならず、ほぼ不可能な事だからです。悪魔の証明は、例えば汚職は存在するかどうかと議論になった時「汚職が無い事を証明出来なければ、汚職は存在する」と一見正しくも見えますが、無い事の証明がほぼ不可能な事を考えれば事実上意味の無い主張とも言えます。なので私はこれを極楽浄土に当てはめようとは考えていません。
 なぜならば極楽浄土ー来世の安らかな世界は、証明するまでもなく日本人の心に深く根付いているからです。私達はお盆、お彼岸等お仏事にはお墓参りを致します。その際多くの方は「おかげ様で元気でやっています。どうぞ安らかにお過ごしいただき、家族達をお守り下さい」と祈られている事と思います。また大切な方を亡くされた時は心の底から、その方の来世での幸せ、安寧を祈る事と思います。それが何よりの極楽浄土の存在する証だと考えるのです。
 実は先の仏教学者は結論でこうも言っておられます。「しかし近しい方を亡くした方には極楽浄土の教えで救われる方が大勢いらっしゃる」―私はそれを信じ、悲しみの中の一筋の光明である阿弥陀様の安らかなる極楽浄土の教えをしっかりと説き続けていきたいと思います。




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