現代人の法話 
〜 「人として生まれること…」 〜

 私達は今、人として生まれ、生活をしていますが、これがどんなに稀な、確率の低い事か意識されていますでしょうか?
 ここでお釈迦様の説話を一つご紹介します。ある時、お釈迦様とお弟子の阿難様がインドの大河、ガンジス河のほとりを歩いておられました。そしてお釈迦様はガンジス河の砂を一握り手のひらに乗せ「この手のひらの砂とこの河原の砂とでは、どちらが多いか?」とお尋ねになります。「河原の砂が多いです」と阿難様が答えると「その通りです。この世界にはこの河原の砂と同じように、数え切れない程の生き物がいますが、その中で人はこの手のひらに乗っている位しかいない。それほどに人として生まれることは難しい事なのです」と言い、次に手のひらの砂のほんの一部を一本の指の爪の上に砂を乗せ「阿難よ、この様に同じ人に生まれる事ができても仏教に巡り会える人はこの爪の上に乗っている程に稀なのです」と言い、人に生まる有り難さ、仏教に出会う難しさを説かれたのです。
 仏教では輪廻を説きます。命というものは何度も生き死にを繰り返しているという死生観で、その命の生まれ変わり先には、人もいますし、動物や魚、昆虫など人の数とは比べ物にならない程多くの命も含まれています。そう考えると人として生まれるのは相当に確率の低い事が自ずと分かります。
 多くの人は受け難い人の身を受けた価値になかなか気付けません。しかし一度その価値に気付ければ深い感謝と自分そして他者の命の大切さ、人としての真の道へと進む心が起こってくる事でしょう。



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