現代人の法話
〜 「愛する人との別れに…」 〜
仏教の説く「苦〜思うようにならない事」の1つに「愛別離苦(あいべつりく)〜愛する人との別れ」があります。特に親・兄弟・夫、妻、お子さんなど愛する人々との死別は何よりもつらく悲しく心が痛むものであり、菩提寺の住職としてご葬儀の際は、その心に寄り添い、真摯にご法要を勤め、阿弥陀様のご来迎を頂き、安らかなる極楽浄土へのご往生を確信し、丁寧なご法話、ご説明とご供養を心掛けています。
近代日本の哲学者で、西洋哲学と仏教思想を融合させ独自の日本哲学を提唱、指導された西田幾多郎氏(1870―1945)は、30代前半の時、6歳の娘さんを亡くされ、その思いを「わが子の死」という随筆に記されています。
その中には「亡きわが子の可愛いというのは何の理由もない、ただ訳もなく可愛いのである」と深い愛情を示され、また「私を慰める為に『子供を失ったのはあなただけではない、同じように悲しんでいる人は沢山いるのだから諦めなさいよ、忘れなさいよ』と言う人がいるが、親としてはせめて自分だけは絶対に忘れないで、一生思い続けてやりたい」と深い心情を吐露されています。
お盆のお棚経(各家での読経)をしていると多くのお位牌を目前に拝し、その中にはお子さんの物も見られます。かつて医療が未発達の時代に子供さんが亡くなる事が多かった事がうかがえますが、同時に身をもって「愛別離苦」を体験された方々が沢山いらした事が想像されます。その方々がどんな気持ちで悲しみ・苦しみを受け入れ、その後どのような道を歩まれたのか?お子さんは勿論、ご先祖様、亡きご親族の方々がお浄土で安らかなる日々を送っていらっしゃる事、また再びお浄土で再会されます事を念じ想い、心よりお念仏をお称え致しました。拝