現代人の法話
〜 「戦後80年に思うこと」 〜
近龍寺には栃木地区戦没者慰霊碑≠ェあります。これは昭和56年、市内の戦没者遺族560名により建立された碑で、表面に「栃木地区戦没者慰霊之碑」、裏面に「この慰霊碑は過(す)ぐる大戦において国家繁栄の礎(いしづえ)となって尊い生命を捧(ささ)げられた諸英霊のご冥福を祈るとともにその功績を後世に伝え、併せて永遠の平和を祈念するため栃木地区遺族会々員の協賛によって建立されたものである」とその趣旨が刻まれています。
実はこの慰霊碑が建立される以前から長年、毎年の春彼岸には、栃木地区遺族会の主催により、諸宗派から成る栃木仏教相愛会の僧侶達が本堂にて慰霊法要を奉修し、大勢の参詣者がお参りに来られていました。しかし年を経るごとに参詣者は減少、令和4年度をもって主催の遺族会は、会員の高齢化と減少を理由に解散する事となりました。
これを受けて栃木仏教相愛会(以下、相愛会)で相談した結果、これからは近龍寺単独で毎年、慰霊法要を行い、節目の年には相愛会で大規模にご法要を行う事が決議されました。私はその際こんな意見を申しました「慰霊法要を止める事はいつでも出来るが、一度止めたものをふたたび再開するのは難しい。慰霊法要は当時の日本国民〜家族や子、孫らを守るべく戦地へ赴(おもむ)き犠牲となった人々へのご供養であり、宗教者としてもこれを無くしてはならない。今、日本は一見平和だが世界では紛争が多発、こんな現代こそ我々宗教者が戦没者の慰霊、そして不戦と平和を祈る法要を決して止めてはならない」と。
そして本年、戦後80年の年、4月20日に当山にて、「戦没者慰霊法要」併修として第3回「花まつり講演会」が開催されます。
思えば人類誕生以来、戦争はじめ紛争の類(たぐい)は絶えた事が無いと聞く。だから平和を諦(あきら)めてしまうのか、いやだからこそ、また大多数の日本人が戦争を知らない世代となったからこそ平和を祈る活動を絶えさせてはいけないと強く思う。物事には時代に合わせて変えて良いものと悪いものがある。宗教を取り巻く環境、価値観も大きく変化を続けているが、宗教者として失ってはいけない先人達へのご供養の心、感謝の心、平和への祈りを伝え続けていきたい。
来たる4月20日(日)、共に祈りを捧げ、思いを行動にあらわしていきたい。