現代人の法話
〜 「戦後80年に思う」 〜
今年は、終戦から80年の年となります。第二次世界大戦では世界で約5000〜8500万人、うち日本では約310万人の方がお亡くなりになり、それはお寺の過去帳を拝覧しても戦中は突出した数となっており誠に痛ましい歴史です。これを深く反省し各国は世界平和・国際協力のため国際連合を設立、しかし未だにウクライナや中東、アフリカなどでは戦争・紛争が続き、多くの名もなき民衆が苦しんでいます。
一体、世界は、歴史から何を学んでいるのでしょうか?一国の利害、面子(めんつ)など平和、人の命に比べれば微々たるものではないでしょうか。権力者はそれを忘れ、己の欲や面子、保身のために自分は傷付かない位置から争いを仕掛けるのです。これは世界各国が密接に関わり合っている現代では決して対岸の火事の話ではありません。
よく宗教戦争、民族間の戦争とも言われますが、私から言わせれば利害の対立、価値観の対立を宗教や民族にすりかえ悪用している様に思えます。どの宗教が人を殺(あや)める事を容認しているのでしょうか?それは国家的なカルトと言っても言い過ぎではないはずです。
お釈迦様は「怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことはない」と怨みや憎しみに報復してもそれは負の連鎖で報復合戦がとどまる事はないと諭されました。戦争も同じです。今こそ私達一人一人が、不戦を誓い、そして小さくとも平和、命を守るための行動をすべきだと考えます。