現代人の法話
〜 「思い 思われ 手を合わす」 〜
いよいよ暑い夏も近づき、これからの季節はお盆、お彼岸など仏教の伝統行事が続く季節です。
表題の「思い 思われ 手を合わす」は7月の浄土宗カレンダーの月訓(その月の標語)で、お墓やお仏壇等に手を合わせ、亡き方に思いをはせた時、亡き方も私を思って下さる、そんな心が交流する関係を短い言葉で示して下さっています。
亡き方〜皆様のご先祖様、大切な方は、今 阿弥陀仏様の極楽浄土におられ、日々安らかにお過ごしながら、皆様の事を見守って下さっておられます。もし私を含め皆様の命が尽き仏の世界に行く時が来れば、必ず遺していく家族・親族などが心配で、不安になることでしょう。阿弥陀様はそこまでお考え下さり、お浄土で私達が悟りを開き安らかに過ごせる環境を整えると同時に、遺していった人達を見守れる天眼≠ニいう力を与えて下さいました。ですから私達が亡き方を思う時、それは一方通行的な思いではなく、亡き方も私達を思って下さる、むしろ常日頃からお護り下さっておられ、その事は私達の今を生きる力、支えともなるのです。
「右ほとけ 左われぞと合わす手の 中にゆかしき南無の一声」という合掌の心を詠んだ古歌があります。インドでは右手は清浄な手とされ仏様を表し、左手は煩悩ある私達を表すと考えるため、それをピタリと合せた時に仏様・亡き方と私達の心が一体となり、心の交流が生まれ、その心が南無の一声〜お念仏として自然と表れると詠われたのです。
手を合わせ、亡き方との心の交流を行う。ぜひ今夏の参拝の際は、これら2つの言葉を思い出し、お念仏を称え、お参り下さい。