ふるさと栃木、再発見! 
〜 「 とちぎ歌麿館 」 〜

 

今回は、栃木と世界的な浮世絵師「歌麿」との関係、そしてお寺から歩いて約2分、蔵を活かしたまちなか美術館・とちぎ歌麿館≠ご紹介いたします。

江戸時代中後期に活躍した美人画の大家、喜多川歌麿(?〜一八〇六)は、狂歌を通じて栃木の豪商たちと親交を持ち、一時華美贅沢(かびぜいたく)を禁じる寛政の改革を避け、彼らを頼り栃木に身を寄せたと考えられています。なかでも栃木の豪商『釜喜(かまき)』の4代目善野喜兵衛(狂歌名:通用亭徳成)と親しく、その叔父である善野伊兵衛(初代釜伊(かまい))の依頼で、肉筆画の大作「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の三幅を描いたとされます。ちなみに釜喜は味噌や醤油等の醸造業で成功し、明治期の日本全国商工人名録で6番目記載となる程の有力者で当山を菩提寺とします。またフィクションですが小説『だましゑ歌麿』では歌麿が近龍寺で修行をしていた場面もありました。

近年、市内で発見された肉筆画「女達磨図(おんなだるまず)」「鍾馗図(しょうきず)」「三福神の相撲図」は『蔵の街美術館』に所蔵され特別展示会などで拝観可。また全幅2〜3mを超える大作三幅「雪・月・花」は高精度複製画(レプリカ)が作られ、「とちぎ歌麿館」や栃木市役所などで特別展示される事があります。

「とちぎ歌麿館」は市内最古の見世蔵(みせぐら)の一つ「古久磯(こくいそ)提灯店見世蔵」(弘化2年(一八四五)建築、栃木県指定有形文化財)を改修し、歌麿の複製画や関連資料を展示、建造物としても趣(おもむき)がありますので、ぜひ一度お立ち寄り下さい。

 ・電話:0282ー25ー3003
   (9〜17時、月曜休、入館無料)

 


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