UpDate 1999/4/29


近所のオアシス錦着山
 ながめも良かんべ

 
  錦着山全景
 錦着山(きんちゃくさん)は標高約80メートル程度の小高い山で、薗部町のすぐ北方、箱森(はこのもり)町にあります。  

 
 春の丁度GW頃には、全山の斜面に植えられたツツジが一斉に花開き、遠くから眺めるとまるで錦を着たように見えることからこの名称がついたやに聞いております。 
 その他、4月初旬には山頂付近の桜の花も満開となり、地元の人が散策や弁当を広げる姿が見られます。(かくいう私も麓付近の酒屋でワンカップ買って一人で花見に行きます) 
  以外と知られていないのですが、初日の出を拝むには絶好のポイントです。栃木で初日の出といえば太平山(他のページで紹介してます)というのが定説ですが、駐車場が狭く道路が大渋滞するので、除夜の鐘が鳴る頃に行かないとまず見られません。 
護国神社と塔
 
 山頂から市街を望む
 錦着山は標高こそ低いのですが、市街にはそんなに高いビルはほとんどなく、元旦の7時少し前に、遠く筑波山の南麓付近から神々しい日の出を拝むことができます。(自宅から歩いても10分程度なので、家を出るときに燗番娘(お燗の出来るワンカップ)を開けていくと、丁度初日の出の頃飲み頃になる) 
 左の写真は山頂から北西側の山並みを望むところ。 
 手前の川は永野川。(解りにくいが右方に赤津川が分岐している) 
 昔昭和30年頃までは、市内を流れる巴波川(うずまがわ)が大雨の度に氾濫し、町の中心部は洪水にみまわれていたが、当時の小根沢市長が赤津川の分水工事を実施したことにより、洪水の被害がなくなった。 
 眼下の赤津川は人工的に掘削された川です。 なお、写真を撮った位置に小根沢市長の胸像が建立されています。
錦着山名物いもぐし   
 麓のすぐ東にはうえき屋というお店があり、いもぐしと草団子を売っています。 
 これは地元の名物の一つで、昔から錦着山といえばいもぐしと呼ばれています。 
 いもぐしはでかい里芋(やつがしらだと思う)を甘醤油でほくほくに煮込み串を刺したもので、喰いでがある割に一本100円ですから、いいおみやげになります。 
 でも家の子供は貧乏くさいと言って食べない。贅沢になったもんだ。 

<2015年3月>
お店は閉店しました。だんだん昭和が遠くなるなあ。
<歴史のお勉強>
 その他かなり古い資料にも記載がありましたので、参考にして下さい。(以下、昭和15年2月刊 大浦倉藏編「栃木名所旧蹟物語」原文引用)

地形並びに風景
 形は巾着の如く、春秋は錦を着けたような様相を呈するので、自然に錦着山の名を得たのでせう、山頂に登れば東南に遠く筑波山を望み市街は双眼の裡に集まります、北に日光、那須の諸山を眺め、西には永野川の清流を眼下に快を叫び、少しく頭を上ぐれば西南に太平の連山、西北に皆川山城守の本城螺城跡を望みて壮烈なる當時の様を思ひ起こすことが出來ます。

錦着山護國神社
 栃木市及び下都賀郡に於ける西南、日清、日露の戦役、上海、満州、日支事変等の戦病没勇士の霊を祀った御社で元は招魂社と称し、(中略)明治11年9月創立したもの(後略)。

埋め太鼓
 山中何所かに昔、大太鼓を埋めたということでありますが、其所を強く踏めばドンドンと音がすると言われて居ます。社殿裏の小高い辺だと言ふ方もありますが、其の何所なるか能くわかりません、探し當てるのも亦一興でせう。

御野立記念碑
 大正7年特別大演習の際、大正天皇此山上に於いて御統裁あらせられたるに依り其記念に建てられたものであります。

陶竈跡
 明治7年頃時の縣令鍋島幹氏が當地の物産にする考へで、郷里九州及び京都より名工を招き、錦着山南麓に陶竈を築き先づ娯楽的に種々な物を焼いて見ましたが、付近の土が陶土に適しないと言ふので中止されたと言ふ事であります。(以下略)
 

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