カタクリの群生地 梵天山の山裾に群生 規模は県内でも有数のものである 3月から4月上旬見頃
セツブン草群生地

三峰山(鍋山)の山裾に群生
日本の特産で石灰岩地を好むことから生育地が限られているため貴重な群生地となっている
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星野遺跡地層たんけん館
市文化財である星野遺跡の発掘調査地を公開した展示館。北関東の旧石器編年の上で重要な意味を持つ深さ10メートルの関東ロール層が見学できる

星野遺跡記念館
星野遺跡の発見者である斎藤恒民氏が採取した石器や土器などを公開している展示館

     大応寺の大ヒバ
 高さ29.4メートル直径1.4メートル(目通り4.4メー
トル)推定年齢400年ヒバは杉に比べて成長が遅いため、日光杉並木の杉(樹齢 370年)と同じ程度の太さがあるこのヒバは樹齢400年と推定され、大応寺が開山されたと言われる詩期(元和4年、1618年)と一致していることから、この時に植えられたものではないかと考えられています. また、現在、ヒバの種類は変種や改良種などたくさんあり、ここのヒバは其の中のヒヨクヒバによく似ていますが、ヒヨクヒバは近年になっての変種であるため、樹齢から考えるとヒバの原種ではないかと推測されます。
 小山芳姫の御堂
南北朝時代に下野の守護であった小山義政
は、鎌倉公家であった足利氏満にそむき粕尾城(現粟野町中粕尾)にこもったが、戦いに敗れて赤石河原で自害しました。芳姫はその小山義政の正室で、義政に会うために侍女を一人伴って粕尾城に向かっていましたが、その時大事に持っていた乾飯の袋を宝の袋と間違われ、案内役のものに殺されてしまった。その後、江戸時代になり村人はこれを哀れんで寒沢林道の奥に芳姫の墓を建て供養したということです。芳姫のお墓は現在市の指定文化財となっており、この御堂は近年になって小山芳姫の墓の保存会の人々によって建てられたものです。
縄文時代の復原住居



星野編

星野生産物直売所  生産物の直売をしている。(2月〜3月日曜日) なお、年一度11月23日に                      収穫祭が行われる。
星野河川敷公園     永野川の河川敷にゆったりとくつろげる公園があ
星野の星宮神社