NOVEL1 櫻 5 |
・・すごいものを見てしまった。 そこから少し離れた場所で、シン・レイ・ルナマリア、それにメイリン・ヴィーノ・ヨウランは目の前の光景に、固まっていた。 その横で、シホだけはあら、っと普通に微笑んでいる。 今見たものは夢か、幻か? ヴィーノは必死で目をこするが、どうやら現実のようだった。 ボルテールに乗っているシホを誘って買い物に出かけた新兵六人組が、ちょうど戻ってきたところで二人の姿を目にした。 赤と白の軍服を着た二人が、櫻の花びらがちらちらと降り注ぐ木の根元に立つ様は、その容姿のせいもあって神秘的な光景に見え、思わず見惚れてしまっていたのだが。 え? 突然の出来事に、思考がついていかない。 そしてその後に、大きな笑い声。 アスランが笑っている。 あんなに楽しそうに大きな声を出して笑っているアスランを彼らが見るのは初めてだった。 しかしそれより驚いたのは、あの!ジュール隊長が目の前で木登りをし、櫻の枝をザラ隊長にプレゼントしただけでなく、微笑んだということだ! その衝撃的な出来事に固まっていた六人は、次の瞬間、その微笑みが氷のように冷たい無表情になり、さらに睨まれるという、また別の意味で固まった。 「見られた」 「え?」 ちっ!と言わんばかりのその口調に顔を上げたアスランが、イザークの視線を追う。 見られた。が指しているのは、笑顔のことではない。もちろん木登りでもない。 軍の敷地内にある以上、この櫻は軍のものであり、その枝を折った行為は事実上の器物破損、横領である。 だが、アスランはそんなことは全く気にせず、しかも彼らがイザークに睨まれて固まっていることにも気づかずに、明るい声でシンを呼んだ。 「シン、今帰りか?」 穏やかに微笑んで手招きをするアスランに勇気付けられて、シン達はためらいながらも二人に近づいてきた。 イザークは相変わらず彼らを睨んだままだ。 すごい量の荷物を見て、ずいぶん買い込んだなぁっと笑うアスランに、メイリンが頬を膨らませてぷーっと嬉しそうに膨れている。 シンやレイなどとも穏やかに話す様子を見て、それなりに仲良くやってるんじゃないか。と横で見ているイザークに、シホが声をかけた。 「隊長、少しお時間ございますか?」 「なんだ?」 「櫻のお茶とお菓子を買ってきたんです。これから皆で食べてみようと思うのですが、よろしければご一緒にいかがですか?」 にこにことシホがイザークを誘っている後ろで、ヴィーノがひぇぇ〜っと声にならない悲鳴を上げている。 「櫻の・・茶?」 眉を潜めているイザークに、アスランがそういえば。っと続ける 「イザーク、櫻は食べられるんだ」 「なに?食えるのか?」 「ああ、お茶とか、お菓子とか・・・」 「どこを食うんだ?」 「え・・ああ、花の部分かな」 むむむ。っとアスランの手元の櫻をじーっと見つめていたイザークは、突然。 ぷちっ、ぱく。 一瞬の出来事だった。 全員が「あ!」っと言う前にイザークは櫻の花びらを一枚抜いて、食べてしまったのだ。 もぐもぐ。 「イッイザーク!!吐き出せ、早く!」 慌てるアスランをイザークはギロリの睨みつける。 ごくん。 あ・・。 飲み込んでしまったイザークに、アスランは青ざめる。 「貴様・・俺に嘘をついたのか?」 「い、いや。食べられるのは本当だけど、生はどうだか・・」 まさか目の前で速攻食べるとは思わなかったし。 「なら構わん。そのうち排泄物と一緒に出てくるだろう」 生はだめだったのか。 イザークはそれほど気にしていないかのようにケロっとしている。 もともとコーディネイターはナチュラルより頑丈なつくりになっている。 それほど心配することもないか。 嘘という言葉には激しい反応を見せたくせに、生で食べたことに対しては気にしいないというのが実にイザークらしいな。とアスランは苦笑した。 「だが・・生は美味くないな」 そして、ボソっと呟いて渋い顔をしたイザークに、アスランはまたもや噴出してしまった。 ミネルバの談話室は、なぜかいつもより賑やかだった。 ボルテールよりも広いからということと、アスランがせっかくだから櫻を皆が利用する食堂に飾ろう。と言い出したことにより、ミネルバに集まったのだが、それは失敗だったかもしれない。 めずらしくイザーク・ジュールがミネルバの談話室に来たということで、それを聞いて集まってきた女性士官などのギャラリーが騒がしく、それに比例するようにイザークの機嫌がすこぶる悪くなってしまったのだ。 だからかもしれない。普段の彼ならありえない不用意な失言をしてしまったのは。 シホから渡されたさくら茶を一口飲んだイザークは、眉を顰めた。 「不味い」 しまった!と思っても、出てしまったものを今更訂正することは出来ない。 明らかにしゅんとしているシホに、心の中で舌打ちする。 もともと彼は、女性には優しい。鈍いアスランとは違い、こういったことには実は気を使う方なのだ。 たまにはお前も気を利かてこの状況をなんとかしろ。っとアスランを見やれば、彼もなんとも言えない。といった複雑そうな顔をしていた。 見渡せば、みな同じような顔をしている。 「で、でも!微かにさくらの香りがしますよね!」 あはは。っとワザと明るくルナマリアが言うものの、その笑いは明らかに乾いている。 シホの様子に誰もが気付いているのに、誰一人慰めの言葉をかけられない。 ・・・・それほど不味いのだ。 塩の味しかしない。 「確かお菓子もあったね。さくら餅!そっち食べてみようよ」 もはやお茶については何も触れるまい。と、メイリンが提案する。 「う、うん」 だが、シホが気を取り直して配ったさくら餅を一口食べた一同は、またもや苦しい立場に追い込まれた。 ・・・こ、これは。 「どうですか?隊長」 シホが心配げに小首を傾げてイザークを見つめる。 なんで俺に聞くんだ。 聞かれれば、答えねばならんだろう! 表情はあくまでも無表情なのだが、イザークは激しい葛藤の渦に飲まれていた。 どう答えるべきか。 「・・甘い」 苦し紛れに出た言葉はこれだった。 そもそもイザークは甘いものが苦手なのだ。 さくら餅は甘い・・甘すぎる。 「美味しく・・ないですか?」 櫻の香りはするが、決して美味しいとは言える味ではなかった。 むしろ不味い。 だが、ここでハッキリと不味いと言ってしまえばシホは更に落ち込むだろう。 かといって嘘をつくのは性に合わない。 結局イザークから出た言葉は、 「よく・・分からん」 曖昧に濁してはみたものの、シホの落胆は目に見えて分かるもので。 「そうですか・・」 目障りなギャラリーと、気の利いたセリフ一つ言えない自分を腹立たしく感じたイザークは、限界とばかりに、ボルテールに戻る。とだけ告げて、シホやアスランを置き去りにしたまま足早に一人で帰ってしまった。 めずらしくお茶の誘いにOKをもらったというのに、イザークを不快にさせたと思い込み、激しく凹んでしまったシホを前に、ふとアスランはあることに気がついた。 見渡せば、ほとんどみんなのさくら餅は半分以上残っている状態で放置されている。 「まぁ・・確かに、あまり美味しいものでもないな。でも、季節の物を食べるのもたまにはいいさ」 穏やかに肩をすくめながらそう言って、ごちそうさま。と自らも仕事に戻るために席を立つ。 そしてすれ違いざまにシホに何かを呟いた後、ヒラヒラと手を振って談話室を出て行った。 見送ったシホは暫しその後姿を呆然と見て、その後ゆっくりイザークの座っていた席に目を向けた 「え?ちょっと!今の・・なに?!」 見逃せないわよっ!っと、テーブルに手をついて立ち上がったのは、ルナマリアである。 ルナマリアの声など耳に入っていないのか、シホの視線は一点を見つめている。 「シホ!ザラ隊長に、何言われたのよー!」 キーキー騒ぎながらシホの肩を揺さぶっているルナマリアには答えず、シホは箱からさくら餅を一つ手に取った。 ぱくっ。 「・・やっぱり、まず〜い」 そう言いつつも、シホはふふふ。と嬉しそうに笑っている。 「シ・・シホ?」 壊れた? ルナマリアは、ぱっと手を離し一歩後ずさる。 皆が見守る中、まず〜い。と言い続けながら、さらに嬉しそうに泣き笑いをしながらさくら餅を頬張るシホを、一同は本気で心配した。 『それでもあいつ、全部残さず食べてったよ』 みんなに奇異の目で見られながらも、空の皿を見つめながらシホは一人、幸せに浸っていた。
・・・・・・・。
数日後−−。 |
■□■ あとがき ■□□ |
長くなってしまいましたが、「慟哭」後のお話と考えてもらえるとありがたいです。 ちるるん |