NOVEL3 白銀の海賊 プロローグ |
長いピンクの髪を揺らしながら歌う少女の声が甲板に響く。 人々はその愛らしい容姿と美しい歌声に酔いしれ、一流の料理人の手によって調理された繊細で美味なる夕食に舌鼓をうちながら、十数日のカリブ海の航海を振り返っていた。 船は順調に行けば明日の午後には、クライン公国の港町アプリリウスに到着する予定だ。 歌い終えた少女に背の高い紳士が近づいていく。 「ラクス、そろそろ部屋に戻って休みなさい」 首を傾げて見上げてくるラクスのあどけない仕草に、紳士の顔には穏やかな微笑みが浮かぶ。 「まだ平気ですわ。お父様。最後の夜ですもの。もう少しわたくしも海を見ていたいのです」 10歳であるはずの愛娘のしっかりとしたその口調に、父親は苦笑を隠せない。 「しかし、大分冷えてきた。せめて、何か羽織るものを用意させるから・・・」 「あ!」 暖かくして用心なさい。と続けたかった父親の声は、ラクスの小さな叫び声で中断させられた。 「お父様、あそこに明かりが見えます!・・・紅い・・あれは・・」 海の向こう。水平線の彼方に微かに灯る輝き。 「炎だ!」 ラクスが理解するよりも先に、父親が叫ぶ。 途端に周囲の船員や、乗船していた軍人達に緊張が走る。 「クライン公爵、お嬢様をお連れになって、奥の部屋へお下がり下さい!」 部下に促され、シーゲルはラクスを抱き上げた。 徐々に近づいてくるその炎の惨状に、誰のものか分からない呟きが当りに響く。 『海賊だ・・・』 轟々と燃え盛る炎に包まれた船は損傷が激しく、詳しく判別はつかないものの、おそらくどこかの国の商船であることが窺えた。 もう周囲に海賊船の姿は見当たらないが、船体は激しく破壊されており、この分では生存者も見込めないだろう。 もしまだ近くにいるのであれば、油断は出来ない。 シーゲル達の乗っている船は襲われたような商船ではないものの、その代わりクライン公国の盟主であるシーゲル・クライン。そしてその公女ラクス・クラインが乗船していたからである。 二人が拘束されたなら莫大な身代金を要求されるであろうし、ましてや殺害されるようなことになれば公国の存亡に関わってくる。 そんなことは断じてあってはならないのだ。 ラクスを安全な場所へと運ぶため、奥へと向かおうとするシーゲルの服の裾を、ラクスの小さな手がつんつんと引いた。 「お父様、あそこに人がいますわ」 まさか。と思いながらもシーゲルが指された方向へと視線を向けると、板にひっかかるようにして辛うじて浮かんでいる小さな人影が見えた。 慌てて部下に命じて引き上げさせると、水を飲んでいるようで意識は朦朧としていたが、まだ息があった。 眸は閉じていて分からないが、黒っぽい髪の綺麗な少女だった。年頃はラクスと同じくらいだろうか。 着ている衣服は濡れていて、墨で汚れ、所々焦げてはいるものの、上質な生地で作られたものだと分かる。 おそらくあの商船の持ち主の娘なのだろうと判断したシーゲルは、彼女を客間へと運ばせた。 「お父様、わたくしに彼女のお世話をさせてくださいませんか?」 「ラクス?」 キラキラと眸を輝かせて見上げてくるラクスの意図にシーゲルは、瞬間的に気付いた。 公女として育てられているラクスには、同じ年頃の同姓の友人が居ない。 幼馴染はいても、性別は男で。 彼のことも好きだが、やはり同性の友人が欲しかったのだ。 「分かった。お前に任せよう。ただし、目が覚めても無理をさせてはいけないよ?彼女は辛い目にあったばかりなのだからね」 わかってますわ。と言って、ぱぁっと花が咲いたような笑顔をラクスは見せた。 髪を拭いてやり、着替えを済ませ、ラクスは彼女が目覚めるのをわくわくとして待っていた。 着替えさせている途中に彼女が首から提げているペンダントが気になったのだが、でも今はそんなことはすっかりラクスの頭の中からは消えていた。 眠っている少女の濡れていた髪は、乾くとサラサラで綺麗な宵闇色になった。 船内の灯りに照らされた肌は白磁器のように白く艶があり、整った容姿はこのままガラスケースにでも入れて保存しておきたいくらい美しい。 お気に入りの人形を手に入れたかのように高揚したラクスは、嬉しそうに呟いた。 「わたくしたち、きっと良いお友達になれますわ」 閉じられている瞳の輝きを、誰よりも早く見たくて。 ラクスの優しい歌声で少女が目覚めるその時まで、ラクスは片時も彼女から離れようとはしなかった。 |