NOVEL4   ディセンベルカレッジ白書   1



  「おはよう、イザーク」
  食堂に入る早々爽やかな笑みを向けてくる男に、イザークの背筋は一瞬にして凍りつく。
  しかし同じようにこちらを見つめる母の視線に気づき、瞬時に自分を取り戻したイザークは、何事も無かったかのように席に向かった。
「おはようございます。母上」
  まず、とても一児の母とは思えぬほど若く、イザークと良く似たプラチナブロンドの髪と美貌を持つ母に愛想良く。
「・・・おはよう」
  そして、今度は不機嫌を隠そうともせず、不気味なオーラを放ち続けている男に低く唸ってから、その隣の席に座った。
  母の咎めるような視線が痛いが、これ以上の譲歩はイザークのプライドが許さないので気付かないフリをする。
  最近は朝からこいつの顔を見るのにもいい加減慣れたが、今日は一体なんだというのだ!
  自分と同じように超低血圧であるはずの隣に座るこの男は、朝に極端に弱く、いつもなら間抜け面を晒してぼーっとしているはずなのに。
「イザーク、早く食事を済ませないと遅れるぞ」
「うるさい!大体何だって俺が付き合わねばならない!」
「だから言っただろう?紹介するって」
「紹介などして欲しくはない!」
「そういうわけにはいかないし、約束しただろ?」
「・・・ぬぅ」
  一見、穏やかで大人しそうな外見を持つこの男が、こうと決めたら梃子でも動かない頑固者だということはイザークも熟知しているし、数日前から全く同じやり取りを繰り返している手前、考えを覆すのは難しい。
  それでも何とか拒否したかったイザークは、昨夜この件を賭けてチェスで勝負をしたのだが、結果見事に負けてしまった。
  だから最早何を言っても無駄なのだ。
「アスラン、それで今日はその子、うちへ来るのかしら?」
「いえ、今日はまっすぐ寮に入ると思いますので」
  エザリアにも、アスランは笑顔を向ける。

  そう、イザークの隣で不気味に笑う男の名は、アスラン・ザラ。
  そしてイザークのフルネームは、イザーク・ジュール。
  二人はファミリーネームこそ違うものの、今では正真正銘の義兄弟だった。

  朗らかに微笑むアスランを、横目で気持ち悪いものでも見るかのように見つめている我が息子に、エザリアは深く溜息を付く。 この二人を見ていると、自分の教育が間違っていたのではないかと、エザリアは不安に思うのだ。
  今では正式に自分の夫となったパトリックの亡き妻レノアと、エザリアは学生時代からの親友だった。その彼女の子供であるアスランは、常に穏やかで、どこに出しても恥ずかしくないとパトリックが溺愛している優秀な息子である。 イザークとて優秀なのは同じだが、性格にやや棘がありすぎる点がエザリアにとっては心配なのだ。
  しかし、パトリックからしてみれば、どこか抜けている自分の愛息より、しっかりしているイザークの方を頼もしく思っていたりする。
  要は、隣の芝は青く見えるということである。

  パトリックとエザリアが結婚することによってジュール家の血筋を絶やすことは出来ない。
  そのために、二人は夫婦別姓を取り、アスランとイザークの姓は別々のままとなっている。
  将来は、お互いザラ家とジュール家をそれぞれ継ぐことになるだろう。
  従って、必要がなくなるはずだったジュール家を売却することはせず、普段はザラ邸を使用し、週末はジュール邸に足を運ぶのがこの家の決まり事になっている。
  ちなみに今日、パトリックは地球に出張中のため不在だった。

「それで、その幼馴染の名前は?」
「キラ・ヤマトだ」
  もう半ばヤケになってイザークはコーヒーを飲み干しながら質問する。
  そう、今日はアスランが月にいた頃の幼馴染とやらがプラントに来る日なのだ。
  これから二人はその幼馴染の出迎えに行くことになっている。
「どんな奴なんだ?」
「うん?すっごく可愛いよ」
  4年前はね。
  心の中で呟いて、アスランはにっこりと微笑む。
「ほぉ・・」
  数日前からアスランの機嫌がすこぶる良い=低血圧のくせに朝から不気味な笑顔=すごく可愛いといって更に微笑む。
  そこまで考えてイザークは、
  女か。
  と勝手に思った。
「そろそろ行こう」
  立ち上がるアスランと共に、イザークも腰を浮かせる。
「行ってまいります。義母上」
「行ってまいります。母上」
  二人の息子にエザリアは、行ってらっしゃいと優しい笑みを向けた。




「なぁ、キラ。プラントってどんなところなんだ?」
  シャトルの窓から、遠のいていく地球の蒼さをボンヤリと窓から見つめていたキラの意識は、そんな声で引き戻された。
  振り向けば、隣の席に座っているトールが、期待の眼差しをこちらに向けている。
  トールを挟んだ向こう側には、その彼女であるミリアリアもいて、同じようにキラを見つめていた。
「さぁ、僕もプラントへは行ったことないから」
「え?そうなの?」
  キョトンとしてミリアリアが不思議そうな声を上げる。
「うん。僕はオーブに来る前は月にいたから。プラントへ行くのは初めてだよ」
  キラは、13歳になるまで、月の幼年学校に通っていた。
「綺麗なところだって聞いたけど、やっぱ緊張するよなぁ」
  不安そうなトールに、キラも頷いてみせる。
  キラはその後、地球のオーブに渡り、今はオーブカレッジに通っている学生で、今年から4年生になる。
  この二人、トール・ケーニヒとミリアリア・ハウも同じカレッジに通う同級生だ。
  オーブカレッジの学生は類に漏れず、最初の3年間をヘリオポリスのカレッジで学び、後半の3年間をプラントにあるディセンベル市のカレッジで同年代のコーディネイター達と一緒に講義を受けることになっている。

『コーディネイター』

 彼等はちょっと人と違う。
  生まれる前に、受精卵の時点で遺伝子操作を受けた人間をそう呼ぶのだ。
  優れた頭脳・運動神経を持ち、望まれた容姿を持って生まれた者たちである。
  そして逆に操作されていない人間を『ナチュラル』と呼ぶ。

 ナチュラルが多いオーブカレッジの学生とコーディネイターでは学力に差が出るものの、その点については自由選択度の高い講義に差を付けることによって調整が取られていた。
  具体的に言えば、オーブカレッジの学生の専攻が一つであるのに対し、ディセンベルカレッジの学生は二つの専攻を持つということである。

『トリィ』
  キラの肩に乗った鳥型ロボットが、キラに向かって首を傾げて小さく鳴いた。
  そんなトリィの仕草に、キラは頬を緩める。
  その表情に、ミリアリアは、はぁん。と意味有り気な表情を浮かべた。
「キーラ!愛しの幼馴染に会えるのが、そんなに嬉しい?」
「え!・・あ」
  慌てるキラに構わず、ミリアリアは続ける。
「そうよだよなぁ。あーんなに可愛い子、めったにいないし」
  トールも便乗してニヤリと笑いながら、肘でキラを突付いた。
「いや、その・・」
  この二人はこういう時も息がピッタリで、キラとしては困ってしまう。
「あら、応援してあげるって言ってるのよ、私達。ね、トール」
「ああ、もちろん!」
  任せとけ。なんて胸を叩く仕草を見せるトール。
「応援って・・」
  二人はオーブに渡ってからの親友で、キラの幼馴染のことを知っていた。
  キラが大切にしているトリィが、その幼馴染にもらったものであることも。
  何度かせがまれて写真も見せたことがあって、それ以降こうやって冷やかされ続けているのだ。
  いつも押されて訂正できずにいるのだが、この二人は勘違いをしている。
「ねぇねぇ!可愛い子ってなに?」
  いつの間にか前の席に座っていたフレイが、後ろを向いて身を乗り出していた。
  その隣いたサイも、同じようにこちらを見ている。
  フレイ・アルスターとサイ・アーガイルもやはりキラの同級生で仲が良い仲間だった。
「キラの幼馴染のことよ、もうすっごく可愛いの!」
  ミリアリアがまるで自分のことのように自慢気に言う。
「へぇ・・・あれ?もしかして今日迎えに来るって言ってた人?」
  サイは先日の出来事を思い出した。
  カトー教授に挨拶に行った時丁度TELが入って約束をしたのを、サイは聞いていたのだ。
  曖昧に頷くキラに、フレイが迫る。
「写真ある?見たーい!」
  眸を輝かせて可愛らしくそうフレイに言われてしまっては、キラはもう断ることができなかった。
  燃えるような赤い髪を持つこの美しい少女のことを、キラは密かに好きだったから。
  渋々と写真を出すキラの手から、写真を奪い取ったフレイは絶句する。
  そこに映っているのは今より幼いキラと、このフレイですら黙らせることができるほどの、柔らかそうな艶のある濃紺の髪と白磁器のように白い肌を持つ、まるで宝石のように輝く翡翠の眸が印象的で、壮絶な美少女であった。
  少なからず衝撃を受けているフレイの横から写真を盗み見たサイも呆然とそれを眺めている。
  シャトルでさりげなくフレイの隣の席をGETしたサイは、実はフレイが好きで、他の女の子には目もくれない一途な性格をしているのだが、その彼ですら写真の中の美少女には見惚れてしまっていた。
「すごい可愛いな」
  そして、動揺のあまりこんな失言をしてしまい、フレイにギッと睨まれていた。
「名前なんだっけ?」
「アスランでしょ、アスラン!」
  もー。トールは忘れっぽいなぁ。ミリアリアは呆れている。
  早くアスランに会いたい!と、異様な盛り上がりをみせるみんなの前に、キラはまたしても訂正するタイミングを逃してしまう。
  アスランは、男の子なんだけど・・・。




  ドォォー・・ン!

 低い大きな爆発音と共に激しい揺れがドックを襲ったのは、オーブからのシャトルが到着する10分くらい前のことだった。
  瞬間的に床へ伏せたイザークとアスランは、すばやく周囲の様子を探る。
  幸い周囲に妙な動きは感じられない。
  騒ぎはどうやら隣のドックらしい。
「どうする?」
  アスランはイザークに問いかける。
  二人は軍人であるが、現在は休職扱いとなっており、ディセンベルカレッジの学生の身である。
  無論、軍関係の式典等がある場合は参加することが義務付けられているのだが、それ以外の任務は特に強制されないことになっていた。
「あいつらが来るだろうし、俺がここに居合わせるのに無視するわけにはいくまい?」
「そうだな」
  キラ、待っててくれるかなー。などと、走りながら言うアスランに、さぁな。などと無責任なセリフを吐きながらイザークも走る。
  移動したドックでの惨状に、思わず息を飲み、そして二人の顔は、軍人のそれに変わった。
  生存している者を、動ける者は助け出そうとしていたが、辺りには夥しい血の跡が飛び散り、そこにいるほとんどがただの肉の塊と化していた。
  黒く焼け焦げた遺体が多く転がっているあたりが、おそらく爆発の中心であったのだろう。
  現場に近付く二人に、慌てたように駆けつけた兵士にIDを掲示すると、顔色を変えて敬礼される。
「イザーク、これ」
  何かを見つけたらしいアスランが、イザークを手招きしながら、床を指している。
  そこには直径2cmくらいの煤けた小さなボタンみたいなものが落ちていた。
  兵士に持ってこさせた白い布を使って拾い上げ丁寧に拭いてみると、少し焦げてはいるものの、はっきりとブルーコスモスの紋章が浮かび上がる。
「無差別テロか・・」
  苦く呟くイザークに、アスランも厳しい顔を隠せない。
  ブルーコスモスはコーディネイター排斥運動団体で、過激派のテロリスト集団だ。
  オーブなど、ナチュラルとコーディネイターが共存する国はそれほどでもないが、他の国では今回のような爆弾テロや個人を狙った暗殺などはめずらしくない。
  特にプラントはコーディネイターの本国であり、テロの一番の対象になっている。
「あれ?イザーク?!」
  驚いたような声に振り向くと、そこには緑の軍服を着た、金髪に浅黒い肌を持つ背の高い青年が数人の兵士を引き連れて立っていた。
「やぁ、ディアッカ」
  挨拶するアスランと、一応自分の上司であるイザークが何故ここにいるのか?と問いた気に二人を交互に見比べる。
「野暮用だ。それより貴様、来るのが遅いぞ、ディアッカ!」
「えー。俺も色々と忙しいのよ。誰かさんのせいでさー」
  飄々とこの場に似つかわしくない声色を出すディアッカに、イザークが先ほどのバッチを押し付ける。
「忙しいのは貴様が無能だからだ!」
  誰のせいだと言うんだ。人聞きの悪い!
  十中八九イザークのせいなのだが、長い付き合いの気安さもあり、イザークのディアッカへの対応はいつもこんな調子だ。
  アスランは特務隊の人間であるため、率いる部隊というものを特に持っていなかったが、イザークはジュール隊の隊長である。
  隊長が休職扱いとなるため、その間は副長であるディアッカに隊を任せてあるのだ。
  ジュール隊は現在プラント近郊宙域の防衛任務についているため、常に港に待機している。
「おいおい、これって。まじぃ?」
  バッチを確認してディアッカがやだなぁっと、ぼやいた。
  だが、すぐに部下に指示を出し、港に厳戒態勢を敷く。
「アスラン、ここは俺たちが処理する。貴様は戻れ」
  幼馴染の迎えは、まだ済んでいないのだ。
「んー」
  事態の収拾だけでも一苦労だというのに、事故ではなくテロであるとしたら、ディアッカ一人では事後処理が大変だろう。
  出来ればアスランも手伝いたいが、キラも心配だった。
「分かった。すまないが、後は任せる」
  渋るイザークを、わざわざチェスで勝負までして、やっと連れてきたというのに、その目的も果たせそうになくなってしまって残念ではあるけれども、事が事だけに仕方がない。
  またそのうち紹介すればいいだろう。
  チェスの勝負は貸しにしておくよ。っと去り際にイザークに告げるのも忘れない。
  そして、アスランは足早に元来た道を戻って行った。


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