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伊達政宗 十八歳 |
幼名・梵天丸。代々続く東北の名家、伊達家の十七代当主に若干十七歳で着任。幼い頃から文武ともに秀でていたが、四歳の頃に天然痘(疱瘡病)で数日に渡り生死の境を彷徨い、高熱は退いたものの後遺症として右の目玉が飛び出してしまう。母親はそれまでの様子を一変させ、息子の醜い姿に見向きもしなくなる。腐りかけた目玉に酷くコンプレックスを感じ、薄暗い室内で狂ったように学問を続け、同時に唯一変わらぬ愛情を注いでくれる父親・輝宗へと陶酔していく。茶道と歌詠みに長け、知能も教養も高いが、あまりに幼少の頃に傷を負いすぎたため精神的に非常に脆い部分がある。後々「独眼龍」として豊臣秀吉、徳川家康と二代将軍へ仕える。愛馬は月雀(ゲッシャク)、愛鷹は宗里(ムネサト)。 |
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片倉小十郎 二十八歳 |
本名・片倉景綱。片倉家が代々世襲する小十郎という名の方が周囲に響いている。当初は輝宗に仕えていたが、十八歳の頃に政宗の養育係となる。虎哉に諭され、意を決して「誰かこの右目を取ってくれないか」と言った政宗に一番に進み出て四肢を縛りつけ小刀で腐り垂れた右目を剔り出した。あまりの痛みに意を失い数日間身を斬る激痛に耐える政宗の傍を片時も離れなかったため、彼の強い信頼を得、以後傍に付き従う。「智の片倉」と呼ばれその先読みは周囲を逸脱していた。政宗が右目の激痛で苦しむ際に薬学に手を着け、良薬毒薬問わず扱いに慣れている。物静かだが叱る時は叱り、讃える時は讃える飴鞭の人。万事より政宗を優先する。秀吉を始め諸国から幾度となく破格の待遇でスカウトが来るがことごとく断り続け、生涯傍から離れなかった。 |
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伊達成実(シゲザネ) 十七歳 |
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幼名・時宗丸。政宗の祖父の弟・実元の息子。なので従兄ではないのだが、政宗にとっては家臣であると同時に身内であり、幼い頃から一緒にいた親友でもある。良き理解者で、無理なく政宗の傍にいられる。小十郎と同じく得難い政宗の信用を早くから得ている。武勇に優れていてこの頃から既にその頭角を現してきていた。小十郎に対し、「武の成実」と称され始める。決して頭が悪いと言うわけではないが非常に直情型で純粋。政宗や多くの者ができる大人の判断を受け入れるのが難しい。不満や納得できないことは政宗に対してもストレートに口にする。その度胸の良さと人柄から家中の中でも人望は厚く、部下にも随分好かれている。 |
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鬼庭綱元 三十八歳 |
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幼名・左ェ門。小十郎の姉、喜多子の腹違いの弟。小十郎とは血の繋がりはない。幼い頃から輝宗に仕える父親に言い聞かされ、物心ついた時から伊達家に絶対の忠誠を持っている。小十郎がまだ小姓をしている際は、父親の横で僅かながら幼少の政宗の傍に絶えず存在していた。厳格な父親の元で育ったにしては飄々としており腕は確かで、武士であり刀も扱えるが個人的には忍の手腕に興味がある。行政にも長け、万能型。小十郎、成実と共に政宗の下で飛躍的に昇格した人物。政宗が秀吉に疑いをかけられた際に直々な命令も下らず半ば単身で上洛し、政宗を庇って秀吉にその才覚を気にいられる。上洛の際見事な変装で赴いたという逸話が残っている。縁の下の力持ち的な優しい男だが、同時に敵には冷徹で政宗や他の武将たちの邪魔は積極的に排除して回る。 |
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伊達輝宗(テルムネ) 四十一歳 |
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政宗の父親。先代になる伊達家代十六代当主。温厚で知識人であり、政宗を始め家臣達のために最良の教育教養環境を整えた。まだ政宗が幼い頃から彼の才能を高く評価していて、片目を失っても全く動じず「弟に家督を譲った方がいい」と言う妻の言葉を遮り、早くに政宗に譲った。伊達家は代々家督相続で親子が対立していて、それを逃れるためという意味もあった。自分に陶酔する政宗と一線越えた関係を持ってしまい、あまり自分から政宗には会わない。去年、四十歳の時に隠居してのんびり暮らしている。 |
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虎哉宗乙(コサイソウオツ) 五十五歳 |
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政宗の師である仏僧。政宗が五歳の時に輝宗の頼みによって資福寺の住職の傍ら、彼に様々な高レベルの学問を叩き込んでいく教育係になる。達観した感があり、政宗を支えている太い柱であることに代わりはないが、常人には視野が広すぎてなかなか言動が理解しにくい。温厚そうではあるがスパルタで、その教育には容赦がない。政宗はそれが自分のためにしてくれていることを理解していたので、彼が死ぬまで師と仰いで尊敬し続けた。 |