まずは経験値稼ぎを! >>   魔法街へようこそ 〜紫の場合〜

 結局紫が外に出る許可を得られたのは、一週間も後だった。体調が悪かったのはただの風邪だが、気管支炎を併発していたせいで完治に時間が掛ったのである。
 その間、毎日のように士郎と環が顔を出しては、あれこれと世話を焼いていったが、本当にどこにも連絡をしていないらしい。学校や家から何か言ってきたという話はなかった。
 いや、家は知っても何も言わないか・・・
「伊藤」
 暗い気分になった紫を、環が引っ張る。
「日が暮れる前に一通り案内するから、急いで」
 外に出るに当たって最初に言い聞かされたのは、「日が暮れる前に戻ること」「環と離れないこと」「知らない道や建物に踏み込まないこと」だった。
「また、あんなのに襲われたくないでしょ? 俺も殴りあいは苦手だし・・・昼間ならご近所さんがどうにかしてくれるから」
 最初の日に現われた異形の生物だが、やはり夢では片付けられなかった。現在里山薬局の軒下ではそいつの皮が他の生薬に混じって陰干しされており、見送りに出てきた士郎の隣で風に揺れている。
 紫が飲まされた薬にも内臓の一部が混入していたというのだが・・・今からでも、吐き戻せないものだろうか。
「この辺はちょっと特殊でさ。別世界と繋がる門が開きやすいから、ああいうのも出てくるわけ。知らない建物や道に入ると、うっかり異次元に行ったっきり帰って来られなくなったりするから、充分気をつけて」
 車に気をつけて、とでも言うような調子で、環は現実離れした内容を告げた。
「・・・りょーかい」
「伊藤、意外と冷静だね。普通もっと取り乱したり、信じなかったりするもんじゃないの?」
 又も、似たような事を言われた。
「驚くタイミングを逃しただけだって・・・」
 冷静なわけではなく、それが事実である。
「そんなもんかな。とりあえず向いにあるのが、通称「三軒長屋」」
 里山薬局と向かい合わせにあるのは、三軒繋がった商店である。向かって右から花屋、ハーブ・スパイス類の専門店、そして日がな一日シャッターを下ろしている謎の店となっており、薬局の二階からも良く見えた。
 謎の店の前で、環が言った。
「で、ここが俺の店。たまに開いてるから、占いに用がある時はよろしく」
「・・・は?」
 シャッターには確かに「占い ほたる」とある。
「高校生が商売していいのか!?」
「文句言われた事ないから、いいんじゃない?」
 知らないだけとも言う。誰が高校生が占い屋を営んでいると思うだろう。
「夜に二時間くらいは開いてるから」
「短っ!!」
「いや、本業が忙しくて」
「本業?」
「高校生+α」
「+αってなんだよ?」
「秘密」
 そんな話をしながら、隣の店に移る。

「は―るまちゃ―――ん!」
 返事はない。
「ここ、「魔女の台所(ウィッチズキッチン)」。店主は堤春麻」
 言いながら、店内に踏み込む。不思議な匂いがする店内を勝手に通り過ぎ、奥の階段から二階に上る。
「い、委員長!?」
「いいからいいから。善は急げってことで」
「よくないって・・・」
 引っ張られた紫も一緒になって階段を上る。
 環が襖を開けると、そこには二人の人物がいた。
「春麻ちゃん」
「!!!???」
「あ〜、マキちゃあん」
 のんびりした声は、茶色い髪を肩辺りまで伸ばした青年だった。若いように見えるが、年齢の判断は付けにくい。
「そっちの子は? 誰?」
「俺のクラスメートで、一週間前から里山薬局の居候の伊藤紫。伊藤、手前が堤春麻ちゃんで、その後ろにいるのが圭ちゃん・・・里山圭士。つまり志郎さんの弟」
「よろしくねぇ、ユカちゃん」
 にこにこと笑いながら春麻が手を振る。その後ろで、士郎とよく似た・・・というより、髪が微妙に長いことくらいしか相違点が見当たらない男が「よっ」と、声をかけてきた。
 ・・・片方の腕を、春麻の腰に回したままで。
 ちなみに、二人揃って上半身には何も着ていない。
「伊藤はユカちゃんね」
「え、ちょっと待て! ユカちゃんて・・・」
「それじゃ、お邪魔様。次行くよ、ユカちゃん」
 紫の反論を遮り、環は再び階段を下りた。
「・・・なあ、委員長。あの二人」
「ご近所名物バカップル。ユカちゃんが居候してる間圭ちゃんと会わなかったのは、こっちに泊り込んでるせい」
「ユカちゃん言うな!」
「春麻ちゃんに命名された時点で無理。俺も十年以上「マキちゃん」で通ってる」
 決定事項らしい。
「・・・それは置いといて」
 男同士でご近所公認なのか。変に思われたりはしないのだろうか。
「いや、別に? ユカちゃんだってゲイでしょ?」
 環はさらりと爆弾を投下した。
「!? いつ、誰に!!」
「ユカちゃんが気がついた時、俺も襖の向うにいたから」
「―――――――っ!!!!」
 つまり、知られているわけか。あのやり取り全部。
「ユカちゃんと士郎さんがくっついたら、男同士がまた増えるなあ」
 増やしたいのか。
「くっつかない!!」
「そう? 愛想ないけど結構いい人だし、前向きに検討してみない?」
「しない! っつーか、向うにもそんな気はないだろ!!」
「そうかねえ? キスまでした仲じゃない」
「違う!」
 会って早々に怪しい薬を口移しされた仲だが、あれは治療の一環として納得したし、士郎がそれについて何か言ってきたこともない。
 多少気まずいのは仕方ないとして・・・いや、普通は男同士で口移ししたら別の意味で気まずいどころじゃない。士郎が爪の先ほども気にしていないらしいのが、唯一の救いだ。
「そう珍しいもんでもないと思うよ? 実際、他にもいるし」
「は?」
「あ、ちなみに俺の両親の事ね」
 両親。つまり、父親と母親。
「変な顔しないでよ。母親が男なだけだって」
「や、ハハオヤ・・・っつったら」
 気力を振り絞って「ハハオヤ」は女だろうと主張すると、環は首を傾げてみせた。
「そう言われてもねえ。ここは魔法街だし」
 彼にとってはそれで片のつく問題らしい。
 学校では全く話をしなかったので知らなかったが、上田環はかなりの変人である。
 嫌な事実を再認識しつつ、次に向かった。

 さて三軒長屋最後の一軒は、「上田生花店」という看板を出している。
「上田って・・・」
「俺の父さん」
 やっぱり。
 衝撃の事実を知ったばかりなだけに、どんな顔をして入ればよいのやら。
 しかし、環の父親は自分から出てきた。
「よう。新入りか?」
「新入りになる予定。伊藤紫、ユカちゃんね」
 親子がのほほんと会話している横で、紫は呆然と上田父を見上げた。
 まず、大きい。身長で言うなら里山兄弟の方が高いだろうが、全体的にがっしりと鍛えられているせいか、実際よりも大きく威圧的に見える。筋肉が盛り上がった腕など丸太のようだ。顔つきも相応に厳ついが、端整で・・・しかし、額から左目を通って頬に達する傷は何なのだ。
「おう。上田靖臣だ。よろしくな」
 上田父、ウエダヤスオミ。職業は花屋。
 ヤのつく自由業です。とか言われた方が、まだ納得できた。
「縁の所は、まだか?」
「・・・いきなり母さんはきついかな、と」
「まあな」
 上田母(男)は、名をエニシというらしい。そしてこの環に「きつい」と評価させる人物らしい。
 帰りたい。
 心底そう思った紫は、その「帰りたい」場所が自宅ではなく、魔法街の外ですらない、里山薬局の二階である事実に気付いて、密かにショックを受けた。
「おい、脅えてんぞ?」
「あ〜・・・」
 逃げ腰になった紫に、上田親子は同時に溜息を吐いた。しかし、フォローはない。
「逃げたくなるのは分るけど、挨拶には行って? ウチの母さんがいないと魔法街じゃないから」
「アレが創始者だからな」
「ついでにこの辺一帯の地主で、ほとんどの家の大家だったりするから」
「家族からも家賃取り立てやがるしな」
 余計にわけがわからない。
 そして環に引っ張っていかれたのは、またも長屋の向かい。里山薬局の隣にある、古本屋だった。