ミッションをこなせ! >> 魔法街へようこそ 〜紫の場合〜 | ||
「紫くん、大学に行きましょう」 阿久津古書店でバイトを始めて二週間ほど過ぎた日のこと。新しく入荷した本の埃を払っていると、阿久津が言った。 この人の言動は、常に唐突である。 「俺、高校在学中なんですが」 「在学中というより自主休学中、むしろ退学までもう一息と聞きましたが」 誰が聞かせたのかと言うと、そんな相手は一人しかいない。 「まあ、今すぐ入学しろと言う話ではありません。高校に戻るなり、大検をとるなり・・・十日以内に決めてくれれば」 「十日?」 「後十日休むと、自動的に留年になるそうです。環くんによれば」 ああ、そういえばそんな制度になっていたなあと、この時初めて気がついた。そんな事より、俗世間の事情からもっとも縁遠そうな人が、現実的な話題を繰り出してきた事の方が驚きである。 「・・・それで、どうして大学?」 「私の都合で」 「あ、そうですよね・・・」 明快な返答だ。当たり前の事を何故訊くのだと言わんばかりの態度に、紫の方が恐縮してしまう。 「いや、でも・・・」 元々大学に行く事は考えていなかった・・・将来の進路を決める気がなかったと言っても良い。 「君の事情に口を出す気はありませんが、家に戻らなくても学校には行けると思いますよ」 「ああ、つまり「出ていけ」って言われたと思ったんだ? 母さんはそんな回りくどい言い方しないから、大丈夫だよ」 クリームスパゲティーを箸で啜り込みながら、環は頷いた。 一日経った土曜日のレストランである。 2人の通う(紫の場合、現在進行形が正しいのかどうか微妙だが)高校は私立の進学校で、週休二日制移行がやかましい昨今でも土曜半休を貫いている。学校から帰ってきたばかりの環はまだ制服だった。眼鏡もついている。 「大学か。そういや俺たちって外部受験コースなんだよね。ユカちゃんはどこ希望?」 これが高校の教室かせめて駅前のマクドナルドだったら、クラス委員かつ風紀委員長で、入学以来全教科の成績が5番以内から下がった事がない上田環が持ち出す話題として何の不思議もないのだが。 場所が魔法街に一軒しかない飲食店で魔法街元締めの息子の口から聞くと、途端に違和感にさいなまれる。 紫が無言でこめかみを押さえると、阿久津の息子は笑顔で「明後日から、学校行く?」と訊ねた。 「制服は俺の予備があるし、教科書は買えばいいよね? ユカちゃんがいないとここと薬局と母さんが大変だろうけど、まあこれまでだって無しでやってきたんだから、大丈夫か」 「俺、役に立ってるか・・・?」 「は?」 ぽろっと転がり落ちた問いかけに、何故か環が目を丸くした。 大盛り杏仁豆腐(環の注文である)を運んできた店主の熊さんが、丼鉢くらいある器を落としそうになった。 「役にって・・・無茶苦茶役立ってるよ! なに、もしかして「行く所がないから同情して置いてくれてる」とか思ってたの!?」 正解である。 「ちょっと熊さん! どうしようこれ!! 自覚がないよ!?」 「・・・俺に言うなよお・・・なあ、紫ちゃんよ」 呼び名の通り大柄で毛深い大男は、環に腕を叩かれて杏仁豆腐を持ち直し損ね、ひっくり返る寸前に何とか着地させた。環は杏仁豆腐の隣に顔を伏せ、頭を抱えている。 「阿久津さんの所にいたアルバイトの最長記録、知ってるか?」 「知らないですけど・・・おい、委員長?」 「こんだけだ」 指が3本立てられた。 「3ヶ月?」 「いんや、3日。これが環の記録で、最低は確か・・・」 「圭ちゃんの30秒」 今度は紫が目を丸くする。 阿久津古書店の仕事は、本の整理と清掃、たまに阿久津の趣味で店の本からコピーをとったり内容を抜き書きしたりしてファイルするくらいだ。向き不向きはあるだろうが、特別に訓練や資格を必要とするような内容ではない。 つまり、阿久津の好き嫌いなのか。 「うん。まあ・・・そういうこと。母さん、好き嫌い激しい上に我が儘だから。平均は半日くらいじゃないかな」 居心地の悪そうな環に、熊さんが「まあ、くえや」とレンゲを渡した。 「あ、学校どうする?」 その話が蒸し返されたのは、環が丼の中身を一滴残らず空にした後のことで。 結局週明けの月曜日に、2人揃って登校することになった。 |
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